チェッカーズの解散理由は?フミヤが脱退を希望?暴露本の内容とは?

ミュージシャン

80年代を席巻したポップスバンド・チェッカーズの解散理由はメンバー間の確執(お互いの意見が合わないこと)と言われています。

藤井フミヤさんが脱退を言い出したことや、高杢禎彦さんが書かれた暴露本『チェッカーズ』の内容なども詳しく見ていきます。


チェッカーズの解散理由が暴露本で明らかにされる

社会現象を引き起こすほどの人気だったと言われているチェッカーズ。

惜しまれつつチェッカーズが解散した理由は、幼稚園から幼馴染の藤井フミヤさんと高杢禎彦さんの確執(お互いの意見が合わないこと)が原因だと言われています。

しかし、確執の内容は何なのでしょうか?

詳しく見ていきましょう。

チェッカーズ解散から11年…高杢禎彦が暴露本を出版

藤井フミヤさんと確執があったとされる高杢禎彦さんが、チェッカーズを解散してから11年後に暴露本『チェッカーズ』を出版しました。

しかし、解散から11年も経ってから、なぜ高杢禎彦さんが暴露本を出したのでしょうか。

様々な意見があるようですが、印税収入の問題があるようです。

チェッカーズのオリジナル(シングル曲をメンバーの作詞・作曲)とするまでは、高杢禎彦さんも作詞をしていました。

しかし、1988年発売のアルバム「スクリュー」で1曲作詞してからチェッカーズの解散まで一度も作詞していないのです。

高杢禎彦さんは、作詞・作曲をさせてもらえず、印税がほとんど入ってきません。

そこで、暴露本を出すことによって、本の印税収入を手に入れようとしているのではないかと推測されるのです。

楽器も作詞も出来ないままチェッカーズにいる事に高杢禎彦さんは息苦しさを感じていたのではないかと、私は思いますね。

暴露本の読者の中には次のように見る方もいます。

  • 買って損したNo.1の本です
  • チェッカーズと私達ファンの思い出がズタズタにされます
  • こんな本を書いたこの人(高杢禎彦)を軽蔑します。

暴露本は、高杢禎彦さんの目線で書かれたものです。

独りよがりな言い分もあるでしょうし、メンバーの真意などは明らかではありません。

この本の制作に関わった人も多いでしょうし、嘘偽りなく書いてあると信じたいですね。

暴露本の内容は藤井フミヤが抜けたいからチェッカーズを解散した?

チェッカーズのメンバーは不仲だったそうです。

当時の高杢禎彦さんはソロ活動で忙しくしており、チェッカーズはレコーディングもままならない事もあったそうです。

この状況では、解散を言い出すメンバーがいても仕方がないように思います。

1991年秋、メインボーカルを担当していた藤井フミヤさんがチェッカーズを脱退することを理由に解散を提案しました。

それに対して、サブボーカルを担当していた高杢禎彦さんが、

「解散して、食っていける奴なんていない」

「お前(藤井フミヤ)が抜けるというだけの事であって、なんでイコール解散なんだ?」

と解散に反論したそうです。

もう1人のサブボーカルである鶴久政治さんと、ドラムの徳永義也(クロベエ)さんも解散に反対だったそうです。

この件で、藤井派と高杢派にメンバーは割れたのだそう。

メンバーによる多数決で、賛成4:反対3となり、解散となりました。

さらに、暴露本で高杢禎彦さんは、オリジナルに移行したのは「カネ」のためだったと書いています。

こんな事まで書かれては、ファンの方が怒る気持ちも分かりますね。

暴露本に対する藤井フミヤの反応

2003年9月21日に行われた福岡公演で、藤井フミヤさんは、高杢禎彦さんが書いた暴露本について、

「あの本は、高杢から見た真実なんだよ。仕方ないんだよ」

と述べています。

大人な対応で場を収めた藤井フミヤさん。
藤井フミヤさんから見た真実は何だったのかは明らかにされていません。

かつて共に活動していたメンバーの暴露本は辛い内容もあったのではないでしょうか。

元々、ソロ活動などでメンバーの気持ちが離れていく中で、解散を言い出した藤井フミヤさんと高杢禎彦さんの確執が深まったと見えます。

チェッカーズの解散後の藤井フミヤと高杢禎彦の関係

解散から11年経って「解散に納得していなかった」と暴露本を出版した高杢禎彦さんと解散を提案した藤井フミヤさんの関係はどのようなものなのでしょうか。

解散後は、解散を反対していた高杢禎彦さん、鶴久政治さん、徳永義也(クロベエ)さんは事務所に残りました。

片や、藤井フミヤさんを含める他4人は事務所を去りました。

両者の交流はほとんどなかったと言われるチェッカーズですが、ある事をキッカケに再び集結する事になります。

メンバーの死により露わになった藤井フミヤと高杢禎彦の確執

2004年8月17日、ドラムス担当の徳永善也(通称クロベエ)さんが当時40歳という若さで死去されました。

死因は舌癌です。

この連絡を受けた藤井フミヤさん達は、2004年9月13日に「送る会」を開きました。

しかし、解散を反対していた高杢禎彦さんと鶴久政治さんは欠席されたそうです。

亡くなったメンバー徳永善也さんに対して酷いのではないでしょうか。
高杢禎彦さんは少し大人げないように思いますね。

高杢禎彦さんが欠席した理由としては、参加を拒否したのではなく「送る会」の発起人からも外されていたとも報道されました。

マスコミが「遺恨の再燃か」と記事にしており、メンバー間の確執を思い起こさせました。

どちらにしても後味の悪い最後ですよね。

藤井フミヤが高杢禎彦に書いた歌

解散前の1989年12月に発売された曲「Friends&Dream」は、藤井フミヤさんが高杢禎彦さんを思って書いたとも言われています。

歌詞の一部を抜粋します。

Boys on Dream Boys on Dream
初めて見たよおまえの流す涙
Boys on Dream Boys on Dream
笑っていいか 似合わない弱気な背中
言いたくないなら聞きはしない
朝までグラスに 酒注ぎ足してやるだけさ
昔も今も俺たちは遠い日のまま
時の流れが夢の形変えても

ソロ活動でメンバー間の心が離れていってしまっているときに書いた曲です。

藤井フミヤさんは、高杢禎彦さんと幼稚園からの幼馴染ですから、分かりあいたかったのではないでしょうか。

そして、まだ解散はしていないけれどメンバー間の心が離れていくチェッカーズを、藤井フミヤさんは一致団結してやり直したかったのかもしれませんね。

今となっては少し切ないですね。

チェッカーズの再結成はもう無いのだという事が分かりました。

チェッカーズの解散理由はソロ活動の活発化により結束力の欠如か

チェッカーズのアイドル的な人気が出てから解散までをまとめました。

振り返ると、ソロ活動が目立ち、メンバー間の結束力が弱まったように感じられます。

アイドル的人気

1984年第35回紅白歌合戦にチェッカーズは初出場します。
その後、9年連続で出演します。

9年連続で紅白出場というのを見ても、国民的人気を得ていた事が分かりますね。

1985年、チェッカーズのメンバーが主演の映画『CHECKERS IN TAN TAN たぬき』を制作します。

チェッカーズは当時、アイドル的人気のバンドでした。

メンバーのソロ活動が本格化

藤井フミヤさんの弟・尚之さんがソロデビューします。

間もなく、高杢禎彦さんと鶴久政治さんもソロ活動は開始します。

このそれぞれのソロ活動が始まった事が、解散へのカウントダウンが始まったのだと言われています。

藤井フミヤさんは、同時期に初のソロシングルをリリースしますが、「チェッカーズ在籍中はソロ活動をしない」と約束していたため、ソロとしてメディアなどでの活動はしていないそうです。

藤井フミヤさんは現在も歌手として活躍しており、老若男女問わず有名な方ですね。

そしてチェッカーズ解散へ

1992年10月にチェッカーズは解散を発表します。

第43回NHK紅白歌合戦に出演し、「フェアウエル・メドレー」というデビュー曲を含めた5曲をメドレー演奏したのが最後となります。

ファンの方にとっては悲しい出来事ですね。

当時、チェッカーズの解散に対し、様々な憶測が飛び交いました。

既に上で述べたように、解散して11年後、サブボーカルである高杢禎彦さんが「暴露本」を出版し、解散理由はメンバー間の確執であることがわかりました。

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