渡部陽一の妻「泉」はホンジュラスに住んでいた!子供が息子1人「世海」

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今回は戦場カメラマン、フォトジャーナリストとして、またテレビでも活躍をしている渡部陽一の家族や過去についてを中心に紹介していきたいと思います。

その独特なしゃべり方からテレビでも頻繁に出演されていた渡部陽一ですが、家族についてのエピソードはあまり知られていません。

結婚してお子さんがいらっしゃるので詳しく見ていきましょう。

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渡部陽一の妻は元美容師、交際10年で結婚

渡部の妻の名前は「渡部泉」で職業は元美容師だそうです。

馴れ初めは、横浜の知人の紹介で知り合ったそうです。渡部は泉さんのことを見た瞬間に一目惚れしたそうです。

元美容師だし一目惚れされるし、妻はかなり美人な女性なのではないでしょうか。

妻は一般人のため残念ながら写真がありません。

話を戻して・・・。

渡部は奥手だったためなかなか自分から告白できずにいたのですが、思い切ってデートに誘いました。横浜の馬車道にある横浜東宝会館(現在は閉鎖)で映画『もののけ姫』を見て食事をしたそうです。

渡部はゆっくり話しますが、逆に妻は早口なんだそうで正反対なんですね。

渡部が奥手でなかなか告白できない様子も簡単に想像できますね。とても微笑ましいです。

それから、2人は、約10年の交際を経て、2009年に結婚に至りました。

渡部が海外滞在中には、必ず毎日、妻に電話かメールをしているんだそうです。

妻から「ヨッシー」と呼ばれているんだそうです。

10年間もの長い間交際しているにもかかわらず「ヨッシー」と呼ばれているなんてとても仲のいいご夫婦なんですね。

そんな仲の良い2人ですが、渡部がテレビに多く出演していた時期に妻と大喧嘩をしたとの噂がありました。

それは、渡部が何十万円もの渡航費を出して危険な戦場に出かけることに対して妻がこのまま日本でタレントをしてほしいと訴え、喧嘩の末、妻が実家に帰ってしまったという噂話です。

この噂に対して、渡部は次のように回答しています。

場復帰をめぐって妻と対立していることに関して、

いやぁ…ないです…ないです。(妻は)すごく支えてくれていますし…感謝しております

妻が実家に帰ってしまったことに対しては、

いやいやいや…ないですよ

どうやら、単なるうわさに過ぎないようですね。ただ、危険な戦場に出かけることを妻が心配をしているのは本当なのではないでしょうか。

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渡部陽一の妻は中央アメリカでもっとも危険な国ホンジュラスに住んでいた

渡部の妻は意外にもホンジュラスに住んでいたという情報があります。

ホンジュラスといえば中央アフリカにある国で治安が悪く、中央アメリカでもっとも危険な国とも言われています。

渡部も妻も、長い間、ホンジュラスのテグシガルパに住んでいたというのです。テグシガルパはホンジュラス最大の都市であると同時に「世界最恐の都市」と呼ばれるほど治安が悪い都市だそうです。

世界で活躍をする日本人を取り上げた番組に出演した際、ホンジュラスで奮闘する日本人を取り上げた際に、渡部がそのエピソードを披露していたので本当のことなのでしょう。

世界一周を目指す人も避けて通るというほどの都市ですがこんな都市で暮らしていたとは驚きですね。

となると、渡部の妻は、渡部が戦場カメラマンをしていても動じない肝が座った女性であることがわかりますね。

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渡部陽一の子供は息子1人、名前は「世海」

渡部には一人の息子がいます。

2010年6月9日に男の子が誕生しています。結婚して1年ほどで赤ちゃんが生まれたのですね。2020年現在、10歳になりますね。

渡部は子供の可愛さあまりについつい赤ちゃん言葉で話しかけてしまうらしく、妻から赤ちゃん言葉を禁止されたそうです。渡部は40歳手前での子供なので可愛くてたまらないのかもしれないですね。

子供の名前は「世海」と名付けられました。「世界を飛び回って欲しい」という願いが込められています。世界を股にかけ戦場カメラマン、フォトジャーナリストとして活躍している渡部陽一さんらしい素敵な名前ですね。

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渡部陽一は大学時代に戦場カメラマンを志す

渡部の子供を見てきましたが、渡部自身の子供の頃ではないですが、大学時代について見ていきましょう。

戦場カメラマンを志したきっかけが大学時代でした。

バンカラに憧れて早稲田大学を目指し2年間の浪人をします。結局、進学したのは明治学院大学法学部でした。落合信彦の著書に登場する弁護士の存在を知り、「弁護士や検察官など、困っている人を助ける仕事に就きたい。」と思い、法学部に入りました。

ちなみに、バンカラの意味は、ぼろぼろの学ランを着たり高下駄を履いたりなどの弊衣破帽(へいいはぼう)姿のことです。

困っている人を助けたいという思いを持っているところが渡辺陽一さんらしいですね。

この明治学院大学時代に戦場カメラマンを目指すきっかけがあったのです。

学生時代、狩猟民族に会うためにアフリカを訪れました。しかし、当時は、目の前で子どもたちが血だらけになって泣いていたり助けを求めてきたり理不尽な状況が当たり前のようにあったと言う、紛争中でした。

さらに、渡部は現地で銃を持った子供に襲撃され荷物を奪われてしまいます。

この話を日本に帰ってきてから周囲に話しても誰も信じてくれませんでした。

この経験から、記録を残せば沢山の人に状況を知ってもらうことができる、と確信し、写真を仕事にしようと決意しました。

学生時代アフリカで見た現実と、それを信じてもらえない平和な日本に厳しい状況を知ってもらうために戦場カメラマンを志したのですね。

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