渡部陽一の妻の写真は?ホンジュラスに住んでいた?子供の名前は?大学時代は?

今回は戦場カメラマン、フォトジャーナリストとして、またテレビでも活躍をしている渡部陽一さんの家族や過去についてを中心に紹介していきたいと思います。

渡部陽一の妻

その独特なしゃべり方からテレビでも頻繁に出演されていた渡部陽一さんですが、家族についてのエピソードはあまり知られていません。

結婚はされているのでしょうか、そして結婚しているとすると、奥さんはどのような方なのでしょうか。

渡部陽一の奥さんのお名前は『渡部泉』さんで、職業は元美容さんだそうです。

奥さんから「ヨッシー」と呼ばれている渡部陽一さんは海外滞在中には毎日必ず奥さんに電話かメールをしているそうです。

渡部陽一さんと奥さんの泉さんは、横浜の知人の紹介で知り合ったそうです。

奥さんを見た瞬間一目惚れした渡部さんは、奥手だったのでなかなか自分から告白できずにいたのですが、思い切ってデートに誘うことに成功します。

横浜の馬車道というところにあった横浜東宝会館(現在は閉鎖)でもののけ姫をみて食事をしたそうです。

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奥さんは、見た瞬間に一目惚れをするくらいキレイな女性なんですね。

お二人は、約10年の交際期間を経て、2009年に結婚しました。

10年間もの長い間交際しているにもかかわらず「ヨッシー」と呼ばれているなんてとても仲のいいご夫婦なんですね。

渡部陽一さんが奥手でなかなか告白できない様子も簡単に想像できますね。とても微笑ましいです。

そんな仲の良い渡部陽一さんと奥さんですが、渡部陽一さんがテレビに多く出演していた時期に奥さんと大喧嘩をしたとのうわさがありました。

渡部陽一さんが何十万円もの渡航費を出して危険な戦場に出かけることに対して奥さんはこのまま日本でタレントをしてほしいと訴え、喧嘩の末、奥さんが実家に帰ってしまったという話です。

これに対して渡部陽一さんはこのように答えています。

――戦場復帰をめぐって奥さんと対立していると聞きましたが?

「いやぁ…ないです…ないです。(妻は)すごく支えてくれていますし…感謝しております」

――奥さんが実家に帰ってしまうこともあるそうですが?

「いやいやいや…ないですよ」

どうやら、単なるうわさに過ぎないようですね。ただ、危険な戦場に出かけることを奥さんが心配をしているのは本当なのではないでしょうか。

妻の写真

渡部陽一さんが一目惚れをした奥さんですが、どのような方なのでしょうか。

ネット上で渡部陽一さんの奥さんの写真を見つけることができませんでした。。残念です。

奥さんの写真はないようですね。渡部陽一さん自身もタレントというよりは文化人という立ち位置ですので一般人の奥さんの露出が余計少ないのでしょう。

妻が住んでいた?ホンジュラス

渡部陽一さんの奥さんのは意外にもホンジュラスに住んでいたという情報があります。

ホンジュラスといえば中央アフリカにある国で治安が悪く、中央アメリカでもっとも危険な国とも言われています。

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果たして本当なのでしょうか。

渡部陽一が自身の妻も長い間、ホンジュラスのテグシガルパに住んでいたとエピソードを話した。

世界で活躍をする日本人を取り上げた番組に出演した際、ホンジュラスで奮闘する日本人を取り上げた際にエピソードを披露したそうです。

テグシガルパはホンジュラス最大の都市であると同時に「世界最恐の都市」と呼ばれるほど治安が悪い都市だそうです。

世界一周を目指す人も避けて通るというほどの都市ですがこんな都市で暮らしていたとは驚きですね。

渡辺陽一の子供

ここまで渡辺陽一さんの奥さんについて紹介していきましたが、お二人の間に子供はいるのでしょうか。

渡部陽一さんと奥さんの間には、2010年6月9日に男の子が誕生しています。

渡部陽一さんは可愛いあまりついつい赤ちゃん言葉で話しかけてしまうらしく、奥さんから”赤ちゃん言葉”を禁止されたそうです。

結婚して1年ほどで赤ちゃんが生まれたのですね。2018年現在、8歳になるようです。

渡部陽一さんは40歳手前での子供なので可愛くてたまらないのかもしれないですね。

子供の名前

2010年に子供が誕生したそうですが子供の名前は何というのでしょうか。

‘世界を飛び回って欲しい’という願いを込めて、“世海”くんと名付けられたそうです。
‘界’は‘海’ですが、気持ちは‘世界’だそうです。

世界を股にかけ戦場カメラマン、フォトジャーナリストとして活躍している渡部陽一さんらしい素敵な名前ですね。

渡部陽一の大学時代

渡辺陽一さんが戦場カメラマンを志したきっかけが大学時代とのことですがどのような大学時代だったのでしょうか。

バンカラにあこがれて」という動機により早稲田大学を目指し2年間の浪人の末、明治学院大学法学部に進学した。

落合信彦の著書に登場する弁護士の存在を知り、「弁護士や検察官など、困っている人を助ける仕事に就きたい。」と思い、大学の法学部に入った。

早稲田大学を志望していましたが結局明治学院大学に進学したんですね。

困っている人を助けたいという思いを持っているところが渡辺陽一さんらしいですね。

この明治学院大学時代に戦場カメラマンを目指すきっかけがあったそうです。

渡部は学生時代、狩猟民族に会うためにアフリカを訪れたというが当時は「目の前で子ども達が血だらけになって泣いていたり、助けを求めてくる理不尽な状況が、当たり前のようにあった」という紛争の真っ只中。

そこで渡部は銃を持った子ども襲撃され荷物を奪われてしまったが、日本に帰っても誰にも信じてもらえなかった。

この経験から「記録を残せば、たくさんの方に状況を知ってもらうことができる」と考えたことが、写真を仕事にしようと決意するきっかけになったという。

学生時代アフリカで見た現実と、それを信じてもらえない平和な日本に厳しい状況を知ってもらうために戦場カメラマンを志したのですね。

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