月亭方正の若い頃がかっこいい!?ハゲが目立ってきた?年収がヤバイ!?

お笑いタレント/芸人・コメディアン

2013年に山崎邦正から落語家からの転身を機に改名された月亭方正さん。

そんな月亭方正さんの若い頃はカッコよかった?最近の月亭方正さんがハゲてきている!?年収がヤバイ!?など気になる噂をまとめました。


月亭方正の若い頃

月亭方正さんの若い頃のエピソードを紹介していきます。

中学時代は剣道部の主将

中学時代は剣道部で、本人曰く主将で大会では常に優勝候補だった。ただし、勝負弱く優勝経験はない。ちなみに段位はなく一級止まりである。

中学の写真は無いようですが、小さい頃の剣道姿はかわいらしいですね。

中学時代に剣道部で主将だったということはかなりしっかり者だったのでしょうね。そして結構硬派だったんでしょうか。

本人談とはいえ、優勝候補だったのに勝負弱いというのが、月亭方正さんらしいなぁと感じるエピソードですよね。

中学時代のあだ名は“ジャガイモ”

中学時代のあだ名は「ジャガイモ」だった。頭蓋骨の形がデコボコしていたからという理由と、ポテトチップスばっかり食べていたからというものがある(いずれも本人談)。現在もポテトチップスは間食として欠かせず、特に「うすしお味」を好む。

中学時代は“ジャガイモ”とは今の姿には割と近くて想像通りな感じですね。

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高校時代はミスターに選ばれる

月亭方正が、特に女の子にモテたのは高校時代でした。在学していた西宮南高校のミスターに選ばれたという経験もあります。

今からは想像つかないほど、とてもかっこいいですね。

ミスターに選ばれるということはイケメンということに加え、きっと周囲を笑わせて人気者だったんでしょうね。

髪型が違うとこんなに違うものでしょうか。

情報処理の資格を持つほど頭が良いが隠している理由

有名なのは、難関で知られる国家資格の第一種情報処理技術者試験資格を所持している…という話でしょう。

実は元々方正さんは理系を専門に勉強していた秀才でした。
小学校の時にポケコン(ポケットコンピューター)に触れたのがきっかけで、コンピューターに興味を持つようになりました。

中学の頃にはかなり高価なパソコンを入手してコマンドを打ち込みシステムを組んでいたほか、後に情報処理系の専門学校に進学しますが、専門学校ではすぐに資格を取得して中退しています。

この頃を知る教師は、方正さんは入学してきた段階で既に相当な実力があったと証言しています。

小学生でコンピュータに触れ、興味を持つということはかなり早くからパソコン等が家にあり、自由に使えるような環境があったということですよね。お金持ちだったのでしょうか。

システムを組むなど一般的に授業で習って行うものとは違う次元でパソコンを扱っていたようですね。

また、第一種情報処理技術者試験(現・応用情報技術者試験)に合格している話もインタビューにて否定しています。

これにはダウンタウンや吉本の上層部より、芸人として売っていく上での、イメージ戦略の観点から、封印した方がいいとのアドバイスを受けたから…という理由があると噂されるが真相はわかっていません。

情報処理の資格自体は否定されているということですが、隠すことがお笑いにとっては大事だと判断されたようですね。

頭がいいことが逆にマイナスになるなんて芸人さんならではなのでしょうか。今ならそれを活かしたクイズ番組等もありますが、ダウンタウンさんの番組では確かに難しそうですね。

芸人デビュー当時はイケメンでバレンタインチョコはダンボールに16箱分

芸人としてデビューしたての頃も、どちらかといえばキレイめな芸風だったこともあり、バレンタインデーには段ボールに16箱分のチョコレートが届くほどの人気ぶりでした。

芸人さんでバレンタインにダンボール16箱だなんてアイドル並みの数ですよね。デビューしたてなら、16個貰うくらいでも芸人さんとしては嬉しいですよね。

その当時のファンの方はまさかこんなカッコイイ芸人さんがいじられキャラになるとは想像もつかなかったでしょうね。

デビューから2年で「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」に出演

1988年に軌保博光と「GSX(ガスペケ)」を結成し、デビューを果たす。
1990年に『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』(日本テレビ系)に出演する。

デビュー当時は、かわいらしい容姿もあり、アイドル的に人気があったという。どこにいってもまるでアイドルのように歓声があがっていたと明かした。

しかし、しばらくすると「面白くない」と思われだし、人気が低迷したという。

アイドル並みの人気のおかげもあってか、デビュー2年目でガキ使に出ることになったのも芸人としては珍しくトントン拍子でした。

かえって早くから上手くいってしまったことが、その後苦悩することに繋がったのかもしれません。それにしても、デビュー当時はキレイめの芸風でアイドルのような月亭方正さんがスベリ芸やキレ芸で笑わせるようになるとはギャップがあり意外でしたね。

最優秀新人賞を受賞

1988年に『GSX(ガズペケ)』を結成し、その1年後の1989年には東京に進出しています。その際コンビ名を『TEAM-0』に変更しています。
1991年に『第12回ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞』を受賞しましたが、1993年にコンビは解散しピン芸人としてスタートさせます。

デビューから5年の間に新人賞も取って順風満帆かと思いきや、最終的には解散しピン芸人になった月亭方正さん。

芸人さんは賞を取ればいいのではなく、そこから生活するために自分たちでアピールしていかなければ安定した生活にはならないということなのですね。

人気低迷の中にスベリ芸を学ぶ

デビュー当時はアイドル芸人的な売り方だったが、後にその勝負弱さを生かした、スベリ芸を学ぶ。スベリ芸を披露した後、他の出演者からブーイングが起こった際に逆ギレして怒鳴る、いわゆる「キレ芸」をセットで行うことも多いが、近年キレキャラは鳴りを潜めつつある。

今ではキレ芸もよく見かけるようになりましたが、かなり前からやられていたのですね。

若い頃と現在の顔を比較

イケメンと言われていた高校時代のお顔と比べると顎のラインや肉づきが歳を重ねて丸くなってきましたね。しかし、父親としての貫禄も感じられたり、優しさも感じられますね。

月亭方正のハゲが目立つ

月亭方正さんのはげは典型的な男性型脱毛症(AGA)と言えると思います。

AGAは成人男性の3、4人に1人の割合で発生するといわれているので、必ずしも月亭方正さんがレアケースというわけではありません。加齢とともに薄毛が進行しハゲていく場合は多くの場合がAGAと考えていいでしょう。

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月亭方正さんの髪は前の方がボリュームがあり、さらにパッツン前髪にしているとそこに目がいくのでそんなにハゲてる!と目立つ方ではありませんが、横から見てみると確かに気になりますね。

しかし、どうしてもこの年齢になってくると仕方のない問題ですし、他の方よりは目立ちにくいタイプではありますよね。

ハゲを笑いに変える

ダウンタウンの松本人志さんも、月亭方正さんがハゲてきたことをおくびにも隠そうとしません。

もろに見えた時は、笑いながら、月亭方正の寂しくなった頭頂部のことを指摘する場面がガキ使でも何度も確認されています。時には「カッパ」と形容したこともありました。

芸人さんならではですよね。一般的には、なかなかハゲてきたことを話題になんてできません。しかもカッパだなんて。

でも、笑いになるって本当はとっても大切なことなのかもしれませんね。仲のいい友人でしか許されないですが、とても楽しそうですよね。どんな悩みも笑いに変えて吹っ飛ばしたいものですね。

月亭方正の年収と仕事

芸人時代の収入はテレビによく出ていましたが、どのくらいの収入だったのでしょうか。芸人から落語家への転身されたことでの収入の変化はどのようなものだったのか。他にどんなお仕事をされているのかも気になりますね。裏には奥さんの下支えもあったそうなのです。

月亭方正の芸人時代の年収は推定5000万円

月亭方正が落語家になる前の年収は5000万円くらいだと噂されていましたが、現在の年収はどうなのでしょうか?

一般的には、東京でのお笑いタレント生活よりも、大阪で落語家として暮らすほうが収入は大幅に下がるようです。

しかし、テレビ関係者の話によると、関西のお笑いは中堅層が空洞化しているため、そこへ上手く入り込めれば、月亭方正にもローカル番組のコメンテーターなどの仕事が多く舞い込んでくる可能性は高いとのこと。

現に月亭方正は、関西ローカル番組「マルコポロリ」や「大阪ほんわかテレビ」など、いくつかのレギュラーをすでに持っています。

月亭方正さんが転身されるまでの収入が5000万というのがまず驚きです。そんなに売れっ子芸人さんだったのですね。

東京で番組に出演されている時よりも関西のローカル番組だとやはり収入は減りますよね。しかし、落語家1本ではなく、テレビ番組でのレギュラーを持つことが落語を広める為にも大切ですよね。

「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」の収録1本で推定180万

また、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」が大きな収入源であるのは間違いないようです。

この番組一本の方正さんのギャラは180万円。

「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」の番組だけで180万も出るんですね。芸人さんはいつまで自分の芸が続くのかもわからない世界ですので大変ですよね。

しかし、月亭方正さんの場合は落語家に転身されたことで収入が減ったとはいえ、本も出版されていたり、関西ローカル番組のレギュラー等の確実な収入源も多いですね。

さらに大晦日の恒例番組である“ガキの使いやあらへんで”もあるのでそこまで心配するような状況ではなさそうですね。

落語家になりギャラよりやりがいを優先

落語家として全国各地で公演を行うほか、2017年1月には、シドニー初の落語公演「月亭方正独演会」を開催して満員御礼で大盛況となるなど、活動の場は海外まで広がりました。落語に出会ったことで、「やりたいことをやり、お客さんに笑ってもらって、こんなにも報われるんだ」と、生き生きと語っている月亭方正。一番大切なことは、ギャラよりも、やりがいを感じるかどうかなのかも知れません。

落語家に転身されてからの活躍をなかなかテレビを通しては知ることが無かったのですが、世界でも活躍されていて、とても充実した日々を送っているようですね。

芸人の世界だけではなかなか海外まで進出して人を笑わせることは難しいことだったでしょう。落語に出会って自分の思い描く笑いの空間を作り上げられているなんてガキ使の姿からは想像がつきませんでしたが、とても素敵な方なんですね。

今後もさらに日本の若い世代の方や世界を魅了する落語家になっていただきたいものです。

収入が半減して夫婦喧嘩が1年半続く

こちらが月亭方正さんの奥さんです。

10周年を機に『落語は素晴らしい ~噺家10年、根多〈ネタ〉が教えてくれた人生の教え~』(ヨシモトブックス)も出版。50人集めるのがやっとだった観客も、独演会で800席を満席にするほどの人気となっている。

そんな方正を支えたのが、妻の存在だった。売れっ子芸人から落語家に転身するときも反対せず、収入が半減しても応援してくれた。しかし、そんな妻が怒りを露わにしたことがあったという。方正がこう振り返る。

「芸人時代は僕が飲む・打つ・買うの生活に溺れていても、黙っていてくれていたんです。僕が苦しんでいると、嫁も察してくれていたみたいです。でも落語家になってから1年半は夫婦喧嘩の嵐。急に飲む・打つ・買うの生活に文句を言うようになってきて。今思うと嫁も僕のことが心配で必死だったんだと思います。本気で落語家になろうとするなら、遊ぶことなく打ち込んで欲しいと。お陰で僕も更生できましたから、本当に感謝しています」

妻の叱咤は愛情の裏返しだったのだ。実際、彼女は夫へこんなサポートをしていた。

年収が半減してもサポートしてくれるお嫁さんがいてくれて良かったですね。今までの生活のままでは収入が減るとなかなか上手く回らなくなりますよね。家族がサポートしてくれなければ成り立ちません。

お嫁さんの覚悟も伝わってきますね。芸人時代に収入が多かった分、そのまま遊んでいたら現在の月亭方正さんがどうなっていたかは分かりませんね。

将来の仕事の夢は夫婦で全国を回ること

「仲直りした後、将来の夢を語ったんです。『僕が落語家として大成して全国を回れるようになったとき、お前が三味線で出囃子でも弾けたら……。年を取っても、2人で全国を回れるからええな』と。すると、それをきっかけに嫁は三味線を習い始めたんです」

それほど落語家への転身を応援してくれている妻。だが、方正は記者をこう言って笑わせる。

「まあ、もうとっくに三味線は辞めているんですけどね。今はカードで散財が趣味ですよ(笑)」

しかしその散財も、自分に対する心配がなくなったからこそだと嬉しく思っているという。

「落語を始めるまで、僕はずっと何をどうすればいいのか悩み続けていました。でも落語はセンスの上に努力を乗っけることができる。この努力できることが、これまでとの大きな違いです。以前は神社で手を合わせる度に願い事が変わっていました。でも、落語を始めてからはずっと同じです。『家族が健康で幸せでありますように』ということ、そして『立派な噺家になれますように』という2つだけですよ」

芸人さんのお嫁さんは皆さんしっかりしているなと感じていましたが、月亭方正さんもお嫁さんに支えられている1人だったのですね。

二人で思い描く未来をしっかりとイメージさせることが月亭方正さんの本気に繋がったようです。大変であった分、絆が深まったようでとても素敵なエピソードですね。いつか、夫婦で全国を回れたらいいですね。

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