渡部建の父親は病気なの?東芝の技術者だったの?

お笑いタレント/芸人・コメディアン

今回はアンジャッシュの渡部建さんの父親について見ていきます。

父親は病気という噂や、東芝の技術者で社長になる直前まで行ったという噂が飛び交っています。真相はどうなのでしょうか。

渡部建の父親

渡部建さんの父親について見ていきます。病気という噂も出てきますがそうではないようなのです。また、東芝の技術者で数々の特許も取得なされているそうなのです。

プロフィール

渡部建さんの父親のプロフィールを見ていきましょう。

名前と生まれ

渡部建さんの父、渡部新次郎氏は、昭和11年(1936年)に長崎で生まれた人です。

元々、渡部新次郎氏の父渡部重男さんが長崎県本紺屋町の問屋街で履物屋(下駄問屋)を営んでいました。

履物屋を営んでいたということで、どうやらお金持ちの家系のようです。

将来の夢は技術者

三菱重工の長崎造船所を見て育った新次郎氏は、将来技術者になる夢を見ますが、終戦で長崎の町は焼かれ、親戚の家に疎開しています。原爆が落とされた時、新次郎氏は疎開先から8キロの道を歩いて家族を探しています。

スポンサードリンク

長崎西高校を卒業後、昭和30年(1955年)に九州大学工学部に入学、電気工学を学んだといいます。卒業後は東京芝浦電気(現在の東芝)に入社。府中工場の設計部で設計に携わっています。

現在の東芝に入社し、夢の技術者に慣れたわけですね。それだけ能力があったということなのでしょう。

病気という噂

接待ゴルフがあるとなればその為の練習をして準備を整えたり、酒とたばこはやらないといった実直そのものの人柄であった。

彼の父親の生活ぶりからも病気とは無縁で健康であったと思われる。

運動もするし、酒とたばこもやらないといったら、健康そのものの生活ですね。

では、父親と病気の関係はどのようなものなのでしょうか。次のことからわかってきます。

父からの手紙

渡部建は大学受験に失敗し、精神状態が荒れた上に腰を傷める怪我をして、入院する事になった。

怪我で入院中に彼の父親からの手紙があり、その内容は「人生は遠回りした方がいい」という物だった。

病気とは、父親が怪我で入院中の渡部建さんに差し出した手紙ということなのでしょう。

よく、人生は遠回りしたほうがいい、と言われますが、渡部建さんにとっては、どういうようにこの言葉が働いたのでしょうか。

具体的には次のとおりになるようです。

アンジャッシュのブレイクは後から

渡部建が大学卒業後となる1990年代半ばからアンジャッシュは「ボキャブラ天国」シリーズに出演し、コントを披露していたが、渡部建の父親の教えも生きた手順のネタにも関わらすシュールさが仇となり、ブレイクに至らなかった

お笑いにおいて最初はうまく行かなかったようですね。ここで遠回りするということなのでしょう。

だが2003年に「爆笑オンエアバトル」で関東のコント勢として初めて、番組内の第5回チャンピオン大会において優勝する事となった。

その年には「エンタの神様」への出演や「笑いの金メダル」では第1回金メダリストとなり、第5世代のお笑いブームの波に乗ってブレイクする事となった

実直な父親の教えが生きた緻密なコントがウケる様になった過程は大学時代の怪我の際にもらった父親の手紙の内容通り、キャリアを遠回りした方が良かったのである。

ブレイクしましたね。努力していればそれが世間から受けいられる時期が来るということなのでしょう。

遅れて来た幸運・渡部建が佐々木希との結婚

大学受験失敗と腰の怪我をした頃に比べ取り巻く状況が好転した渡部建であったが、遅れて来た幸運がもたらした物は、佐々木希との婚約であった。

渡部建は40代半ばになって、父親の手紙の通りの遠回りをした後に最高の財産を手にしたのである。

渡部建は、大学時代に怪我をした際の父親からの手紙を今も大切にしている

結婚はいつするのかという時期がありましたがようやく結婚されましたね。人生うまく行っていますね。しかし、遠回りというのはどう回ればよいのか難しいところでもありますね。

東芝の技術者だった

渡部建の父親は東芝に努める技術者

東芝は日本人であればほとんどの人が知っているのではないでしょうか。かなり技術力のある技術者だったのではないでしょうか。

新幹線やリニアモーターカーの設計に関わった

スポンサードリンク

鉄道部門へと配属された父の新次郎氏は、新幹線やリニアモーターカーの設計にも関わったといいます。技術畑一筋であった新次郎氏は、退社するまでに50以上の特許に関わっています。

すごい数の特許を取得したんですね。それだけの技術力のある技術者だったということですね。

島耕作のように仕事ができる人

アンジャッシュ渡部さんが、アメトーークの島耕作芸人の中で、島耕作と自分の父親を重ねたエピソードトークをしました。

それは、

仕事人間で家にいる時間も少なくて、家族との時間も少なくて、でも仕事はできて出世もする』という島耕作。

それに、渡部さんがこんな話をしました。

「俺の父親も島耕作と似てて、元東芝の社員なんだけど、東芝の社長にもなりかけたくらいで結局なれなかったんだけど、全然家にもいなかったし、休みはゴルフに行ったりしてたし。

だから、それを見てきたから、子供たちは全員普通のサラリーマンになってないですもんね。」

父親が家に居なくても、子供は全員サラリーマンにならなかったという父親の影響力はすごいですね。

合理主義な性格

ども渡部建さんの父親は合理主義だったそうで、渡部建さんが子供の頃からの躾で見ることができます。

子供にコスパを求める

彼の父親は合理主義で段取りを重視。

いかに少ない時間で大きな成果を出せるか?

費用(時間)対効果、いわゆる「コスパ」を子供の勉強にも求めました。

渡部少年が漢字のテストで良い点数をとっても、人と同じ時間勉強して同じ点数では褒めてくれません。

いかに少ない時間で大きな成果を出せるか?

費用(時間)対効果、いわゆる「コスパ」を子供の勉強にも求めました。

登下校の道順についても、
この公園を斜めに横断すれば早く行けるだろう
と話すなど、子供の生活にも合理性を追求するのでした。

子供に対しても厳しかったのですね。子供にコスパを教えるなんて多くはないと思う機会だと思います。まさに技術者の考えとでも言いましょうか。

コントのネタ作りにも影響

渡部さんは、コントのネタを考えるとき、2段階の方程式で会話を組み立てるのだとか。

これは、コスパに厳しいお父さんの影響に他ありません。

渡部建さんは具体的に次のようにネタ作りについて述べていらっしゃいます。

コントのネタ作りに生きていると思います。例えば、相方の児嶋(一哉さん)が僕の母親と結婚するというネタがあるんですが、これも方程式に当てはめてつくるんです。同級生が義理の父親になる。すると、呼び方や人間関係のねじれでおかしさが出ます。それを、僕が結婚相手に気付く前と後の2段階の公式で会話を組み立てるんです

ちょっと複雑な人間関係が生まれますね。それがコントの面白さにつながるんですね。

阪神タイガースファン

一度、お父さんが大阪出張で阪神タイガースの帽子をお土産に買ってきてくれ、それ以来、渡部さんはタイガースファンとなっています。

また、東芝に勤めていたので、たまに都市対抗野球の観戦にも連れて行ってくれました。

渡部建さんは、父親の影響を受けていますね。それだけ父親に信頼を置いているということなのでしょう。

母親との出会いと家族構成

30歳のときに見合い話が持ち上がり、そのお相手が、満州から引き上げて来ていた梅本恵子さんだったのです。

昭和42年(1967年)にお見合い。その年に2人は結婚しています。

昭和43年(1968年)に長男の寛さん(渡部さんの兄)、昭和44年(1969年)に長女の優子さん(渡部さんの姉)、そして次男の渡部建さんが昭和47年(1972年)に生まれます。

お見合い結婚だったのですね。当時としてはそれが一般的だったのでしょう。

定年で北芝電機に出向!?

東芝 から 定年で北芝電機に出向かよ。

北芝電機(株)常務取締役

渡部の親 まじめなサラリーマンだったんだな。
北芝電機って トランス造ってる会社だ。

どうやら定年で北芝電機に出向したようです。

それも常務取締役ときたから、そうとう技術者としても経営者としても認められているということですごい能力のある方だということがわかりますね。

渡部建の大学は?大学時代は?東京都立日野高等学校・神奈川大学の学歴や偏差値。
お笑いタレントのアンジャッシュ・渡部建さんの大学時代、また小学校・中学校・高校についても見ていきます。大学受験に失敗し父親から手紙をもらったことや、アンジャッシュの誕生秘話についてもまとめています。また芸能界一の高校野球ファンであることに驚かされます。

コメント