伊達公子 離婚した理由は?元旦那の名前を含むパン屋をプロデュース

有名人

テニス選手の伊達公子さんは、2001年から2016年までドイツ人のレーシングドライバーのミハエル・クルムさんと結婚していました。

離婚理由は、些細なことの積み重ねであることがあげられています。

子供はいなく、不妊治療するも原因不明の不妊とされています。

離婚直前に伊達さんがプロデュースした元旦那の名前を含むパン屋をオープンし、それを現在も運営されています。

それでは詳しく見ていきましょう。

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元旦那はミハエル・クルム

出典:ウェブサイト『NISMOドライビングアカデミー』

ミハエル・クルム(Michael Krumm)さんのプロフィールを紹介します。

1970年3月19日生まれで、ドイツ・ロイトリンゲンの出身です。

身長183cm、体重70kg。

愛車は、NISSAN GT-R NISMO N Attack Package、スカイラインHV。

日本語を流暢に喋れます。バラエティ番組『ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー』にゲスト出演した際、スタントカーを使う競技で100万円を獲得。その使い道を尋ねられた際、流暢な日本語で「郵便局に貯金します」と答え、そのルックスも相まって共演者から絶賛されていました。

職業はレーシングドライバーで、14歳でカートレースにデビューし、様々な国際レースに参戦。

1994年に日本デビューし、2003年に全日本GT選手権でシリーズチャンピオンを獲得しました。

現在、日産自動車の連結子会社『NISMO』のドライビングアカデミーの校長を務めています。

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国際結婚

2001年1月12日、伊達さんはクルムさんと婚約したことを発表し、同12月1日、結婚しました。当時、お互いに31歳。

婚約を発表した当時、既に2人は同居していました。

伊達さんはクルムさんのことを「Mike」と呼び、クルムさんは伊達さんのことを「公子」と呼んでいました。

クルムさんは自身の個人ウェブサイトで「キミコと私は正式に私たちの結婚式を発表できることを非常に嬉しく思います。私たちは家族や友人全員との素晴らしい一日を楽しみにしています」と英語で綴りました。

同12月に、東京・文京区にある『東京カテドラル聖マリア大聖堂』で挙式しました。

当時、レーサーとの国際結婚といえば、1995年に結婚した女優の後藤久美子さんと10歳年上のジャン・アレジさんという年の差カップルが連想されました。しかし、伊達さんもクルムさんは、お互いに1970年生まれで、世界を舞台に活躍してきたことから国際結婚という程の感覚はなかったかもしれません。

お互いにスポーツ選手に長けていたということもあり、2007年、夫婦での共著『パートナーピラティス』を出版することも。日本初のふたりのピラティスを紹介する内容となります。

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夫婦別姓に賛同

結婚当初、伊達さんは「クルム公子」を名乗っていましたが、家庭裁判所での姓の変更を経て「クルム伊達公子」に変更しました。これは国際結婚であるため夫婦別姓が可能となります。

伊達さんは選択的夫婦別姓制度の導入に賛同しています。「結婚する2人が考え、同姓にしたければする、別姓を名乗りたければ名乗る。それが理想」と自身の考えを述べていました。

1996年にテニス選手としての現役引退を宣言しましたが、2008年4月6日、現役復帰を決意したことが報じられました。当時37歳にしてプロ復帰した理由を「世界と戦うためではなく、若い選手へ刺激を与えるため」と述べ「クルム伊達公子」でプロ登録しました。

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馴れ初めは

2008年、伊達さんとミハエルさんは夫婦でウエディングカフェ『アーキテクトカフェ汐留』でトークショーを行いました。その際、馴れ初めについて明かされました。

さかのぼること1994年。クルムさんがテレビに映っていた伊達さんに一目惚れしたとのこと。

それから5年後の1999年、フランスで行われた『ル・マン24時間レース』にクルムさんが出場し、伊達さんがテレビ局のリポーターを努めていました。「知人に紹介されて、食事に誘ったが断られ続けた」ことをクルムさんは明かしました。

それに続けて伊達さんは「1年後に食事会で再会して電話番号を教えたのに何もなくて、その1カ月後にカート場で再会。うまくハメられました」と2000年から急接近したそうです。

その2ヶ月後に、クルムさんからプロポーズされ、1年近く一緒に住み、結婚に至りました。「結婚は相手を尊重して、話し合うことが大切」と声を揃えていました。

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離婚は些細な積み重ねから

2016年9月26日、離婚を発表しました。協議離婚でした。

その翌日の27日、伊達さんは自身の公式ブログで「2人で長い時間をかけて話し合い、これからは別々の道を進むことを決めました。16年間共に過ごしてきた中で、2人の人生に変化が出てきたことにいつしか気づき、この先のまだまだ長い人生を考えると、別々の道を歩むことがいいのではないかという結論に至ったのです」と離婚の理由を明かし、さらに「離婚をしたこれからもその関係は大きく変わることはなく、友達として会うこともあるでしょう」と、日本語と英語で綴りました。

同ブログにてクルムさんも「公子と僕は、協議離婚することに同意しました。 友好的に、お互いの理解を持ってその結論に至りました」と離婚を報告し「ここ数年、僕達はお互いの道を突き進み、そしてそれぞれの活動をいつもサポートし合い、励まし合ってきました。僕は公子の大ファンですし、ここ数年の彼女のテニス界における素晴らしい活躍をとても誇りに思っています。また彼女は、 僕のクレージーとしか言いようのないようなスケジュールの時ですら、無条件にレース活動をサポートしてくれました」とこれまでの経緯を説明。さらに「僕は、きっと公子が僕に対してそうであるように、彼女が今後何をしようともいつもサポートし続けていきます」と離婚後もお互いにサポートすることを述べていました。

その後、2018年4月12日、テレビ番組『アウト・デラックス』にゲスト出演した伊達さんは離婚理由についてより詳しく明かしました。

将来スポーツを全盛期と比べてやらなくなったときに2人の趣味は何かと考えたそうです。例えば映画を見ると、伊達さんは日本語の字幕、クルムさんは英語の音声。一緒に観ているときに伊達さんがクルムさんに話しかけても「静かにしてくれ」などと言われたりしたそうです。共演者でお笑いタレントの山里亮太さんはそれを聞いて「いやー、結構細かいポイントですねえ」とコメント。このように、些細なストレスの積み重ねが離婚原因であると考えられるでしょう。

ちなみに、伊達さんは「伊達公子」に名前を戻しています。2017年に現役を引退することも表明。

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不妊治療するも子供ができず

伊達さんとクルムさんとの間に子供はいません。

結婚当初、伊達さんは「子供は生まれるもの」と思い込んでいたそうです。しかし、すぐに妊娠することはなく、不妊治療を試みましたがが原因不明の不妊とされ、子供を授かることはありませんでした。

これに関連して伊達さんは「今までは、努力した分は必ずインパクトが付いてきた。早いか遅いかの相違点はあっても、不断の努力によって後から必ず成果は付いてくる。それがテニスだった。けれどもこの治療(不妊治療)は違った」とコメントを残しています。

一方、クルムさんは子供ができないことに悩んでいる伊達さんに対し「子供と言う理由で結婚したわけではない」 「テニスをしている君を見たい」という言葉をかけたそうです。

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パン屋『FRAU KRUMM』をオープン

離婚を発表する1ヶ月前の2016年8月に、伊達さんは東京・恵比寿にパン屋『FRAU KRUMM Bread&Coffee』をオープンしました。

ドイツではおなじみのブレッツェルやソーセージ等を挟んだ個性豊かなサンドウィッチを提供。素材にもこだわりドイツ産のビオ小麦やライ麦を使用しています。

伊達さんは、もともと食べることが好きで、クルムさんとの出会いによりドイツのパンを食べて衝撃を受けたそうです。またクルムさんも大のパン好き。

店名に元旦那の名前が含まれていて、その意味はドイツ語で「クルム夫人」となります。世間からは「元旦那の名前で商売」することに批判されることも。

離婚後もクルムさんはお店を応援していて2017年12月の某インタビューを受けた際にも、イートインコーナーに座っていたと言われます。

クルムさんの家族からも、いつでもドイツに遊びにおいでというメールを伊達さんに送り、2人の関係に理解を示していました。

このように伊達さんとクルムさんは完全に縁を切ったわけではありません。一部から2人の復縁が噂されることも。

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