松田優作の死因は膀胱癌。命日が怪奇現象。葬儀写真あり。

迫力のある情熱的な演技で、今も人々の記憶に残る俳優の松田優作さん。

40歳という若さで亡くなった松田優作さんの死因や、それにまつわる闘病生活、怪奇現象や葬儀などのエピソードについて見ていきます。


松田優作の死因は膀胱癌、享年40歳

1989年に突然亡くなった松田優作さん。その死因とは何だったのでしょうか。

東京都武蔵野市にある西窪病院(現在の武蔵野陽和会病院)に入院していました。

そして、松田優作さんは、1989年11月6日午後6時45分に、膀胱癌の腰部転移のため40歳で死去されました。

息を引き取る瞬間、松田優作さんの目元から一筋の涙がこぼれ落ちたそうです。

松田優作の死が怪奇現象と言われる由縁

松田優作さんの死因に関連して「怪奇現象」といった言葉が出てきます。

一体どういう事なんでしょうか。

 

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1983年10月29日より全国で公開された映画『竜二』が大ヒットを記録しました。金子正次さんが主演、脚本、そして彼が完全な自主制作で撮った映画です。暴力シーンを伴わないヤクザ映画として高く評価されました。

この映画の脚本ができた当時、まだ無名だった金子正次さんは、その脚本を映画会社に持ち込みますが、どこに持ち込んでも「脚本はいいんだけどなぁ。松田優作でならやってもいいよ。」と言われてしまったのです。

金子さんと松田優作さんは親友ではあったのですが、金子さんは自分のプライドのため、どうしてもこの映画の主演を自分で務めたかったのです。

そして、なんとかお金を工面し、映画を完成させました。

それから、1983年11月6日、金子正次さんは映画公開期間中に胃癌性腹膜炎により亡くなってしまいます。松田優作さんに看取られながら…。

よくよく見てみると、奇しくも6年後の同日(1989年11月6日)、松田優作は癌で死去するのです。

確かに親友同士の命日が同じなのは、運命を感じてしまいますよね。

お二人とも、病名も「癌」であることも一致しています。

松田優作の葬儀

最後まで役者として生きた松田優作さんの葬儀には、たくさんの方が駆け付けました。

 

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告別式の日、親友の原田芳雄さんの弔辞には、松田優作さんに対する愛情と悲しみがすべて凝縮されていました。

「優作‥‥。俺は今までお前が死ぬとこを何度も観てきた。そしてその度にお前は生き返ってきたじゃないか。役者なら生き返ってみろ! 生き返って出てこい!」

日刊スポーツにも掲載されました。


出典:日刊スポーツ

松田優作さんには4人の子供がいらっしゃいます。

元妻との間に長女が1人。次に結婚された妻・美由紀さんとの間に3人。

美由紀さんとまだ幼い頃の松田龍平さんと松田翔太さん、そしてゆう姫(ゆうき)さんが新聞に写っています。

取材陣の多くが思わず涙しました。

出棺直前の“お別れ”の時、「私を置いて行かないで」と美由紀さんは松田優作さんの遺体にすがりつきます。それまで父親の死を理解できなかった長男の龍平さん(当時6歳)と次男の翔太さん(当時4歳)も母親の涙に誘われるように「置いて行かないで」とつぶやきながら大粒の涙をこぼしました。長女(美由紀さんとの間では)のゆう姫(ゆうき)さん(当時1歳)も笑顔を消し、ぼんやりとした顔になったのでした。

妻の美由紀さんにつられて、子供たちも泣き出したというのが、本当に胸が苦しくなります。まだ幼かった子供時代に、偉大な父親が亡くなってしまったのは辛い経験ですね。

松田優作の闘病生活、映画『ブラック・レイン』の撮影を優先

松田優作さんの闘病生活は凄絶そのものでした。

症状が出てから、亡くなるまでたったの1年でした。

1988年、深作欣二監督の時代映画『華の乱』で、国民的女優吉永小百合さんとともに主役を演じました。この撮影をしている頃から、松田優作さんは尿が出なくなり腹がパンパンに張っていたのだそうです。

松田優作さんが初めて診察を受けたのは都内の西窪病院で死去の約1年前の1988年9月27日でした。一人で来院した優作さんは若い医師に「血尿が続いていたが、とうとう尿が出なくなった」と訴えました。

この状態だと、今まで相当な痛みがあったはずで、すぐに止血の手術がされました。動けば再び出血の恐れがあったので絶対安静が必要でした。

診察の結果は、血塊による尿道閉塞でした。

入院3日後、検査結果があがってきて、医師から末期癌だと告げられます。膀胱内の壁内にできる移行上皮ガン(TCC)と診断されました。この癌は、膀胱の外側から内側に、あるいは骨盤に向かって癌細胞が増殖していき、進行も早く治療が困難なものです。CTスキャンでみると既に膀胱の4分の1が冒されていました

優作は、「今は手術もできないし、強い薬も使って欲しくない」と医師に申し出ました。その理由は、パラマウント映画『ブラック・レイン』の撮影が待っていたからです。

 

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痛みを押してでも映画の撮影を優先した事で、松田優作さんは伝説の俳優さんとなりました。映画『ブラック・レイン』は松田優作さんの遺作となった映画です。ハリウッドでも、優作さんの評価はかなり高かったのだとか。

膀胱癌で血尿が止まらない状態にも関わらず、妻・美由紀さんにさえも病名を隠して、映画『ブラック・レイン』のために4ヶ月も渡米していました。

体の臓器や神経をむしばむ末期ガンの肉体的苦痛は、言葉では言い表せないほどです。

1989年10月28日、治療に限界を感じた医師は睡眠療法に切り替えました。全身の痛みを取るためのモルヒネが点滴薬の中に混入されました。

11月6日午後、病状が急変しました。腎不全などで血液中のカリウムが5から6mEq/Lで生命維持の赤信号でしたが、優作さんの強靭な心臓は、9mEq/Lまでの高数値を示しても停止しませんでした。血液中のカリウム濃度の正常範囲は3.5〜5.0mEq/Lですが、5.5mEq/L以上になると異常です。

意識がはっきりしない中で、優作さんは時々目を開きました。その時は、心電図がきれいな波形を描きました。このまま眠ってなるものか、という強い意思の現れでしょう。

文字通り、俳優として生きることに生涯をかけ、そして逝ってしまったのです。

早期に治療していれば治っていたのかもしれません。

松田優作さんが今でも「伝説的俳優」と言われるのは、最後まで俳優として生涯を終えられたからかもしれません。

松田さんを支えていたものは何だったのでしょうか。まだ幼い子供と妻を残して、一人癌と戦った松田優作さん。彼を支えていたのは意地と精神力だったのかもしれません。

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1 COMMENT

岡本ひろげん(中川浩一)

1989・11・6に39歳の若さで死没されて、
妻の美由紀さんはとてもショック。
同じく13に新潟の親戚による爺さんにだって、70歳で他界してお互い様です。

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