シンガーソングライターの泉谷しげるさんの生い立ちについて見ていきます。
青森生まれで東京育ちで実家は金持ちと言われています。
破天荒なキャラは作り物で、本当はお坊ちゃまだったのです。
高校は中退し、性格は人見知りです。
若い頃はフォーク界の異端児と言われていました。
マンガ家を目指していた時期があったという意外な一面があります。
独身のように見えますが、結婚歴があり娘と孫3人がいるのです。
それでは、詳しく見ていきましょう。
泉谷しげるは青森生まれで東京育ち
泉谷さんの生い立ちについて見ていきます。
泉谷さんは1948年5月11日、青森県青森市の生まれです。本名は泉谷茂。
泉谷しげるさんの出身は東京と言って良いでしょう。3歳頃から東京都目黒区東山で育ったからです。
泉谷さんが「青森出身」や「東京出身」と、どちらか分からない感じになっています。
それには理由があり、フォークシンガーとしてデビューする際に、地方出身者のほうが売れていて東京出身では売りにくい、とレコード会社エレックレコードの方針で青森出身として売り出したためです。
ちなみに、当時、CBSソニーに移籍したシンガーソングライターの吉田拓郎さんの代わりに泉谷さんが売り出されたため、「吉田拓郎=広島フォーク村」のイメージがあり、地方出身とするのがしっくりときたのです。
フォークシンガーは地方出身の方が売れている、というのは偶然だと思いますが、そういった事務所の計らいで「青森出身」というイメージが強いのかもしれません。
泉谷しげるは実家が金持ち、破天荒なキャラは作り物で本当はお坊ちゃまだった
泉谷しげるさんの実家は結構な資産家で金持ちと言われています。
実家の場所は目黒の高台にあり、そこは著名人が多く住む高級住宅地である中目黒エリアの中でも一番良いとろこにあったのです。
ちなみに、父親は大工さんでした。
2017年4月、バラエティ番組『有吉反省会』に泉谷さんが出演した時に45年やってきた「破天荒キャラは作り物」とカミングアウトしたことが話題になりました。
番組司会の有吉弘行さんから「そもそもお坊ちゃん育ちですもんね」と突っ込まれ、泉谷さんは「黙れ!」と照れ笑いを浮かべていました。
キャラ作りとは思えない破天荒さですが…。
確かに、笑顔が優しそうなのでキャラ作りは本当なのでしょう。
泉谷しげるの生い立ち、高校中退、人見知りで病弱
幼少期に病弱でした。ポリオウィルスに感染してしまい、脚に障害が残ってしまったのです。
テレビで見ている分にはあまり分かりませんが、ファンの方ならライブで足を引きずって歩く場面を見たことがあるのではないでしょうか。
このポリオウィルスは「小児麻痺」とも言われ子供がよく感染します。
子供の頃は人見知りが激しかったのです。破天荒なキャラは作り物と上で述べましたが、人見知りとは意外です。
そのため、自身を変えるために「暴力行為に近いことをやろう」と考えたのでした。
ここから破天荒なキャラを作ったわけですね。
学歴は、目黒区立烏森小学校卒業、目黒区立東山中学校卒業、東京都立目黒高等学校中退となっています。
高校は中退されていて破天荒の片りんがこの頃からありますね。
その後、1962年にデビューの英国バンド「ローリングストーンズ」に憧れ、泉谷さんはロックバンドを組んでいました。
しかし、1966年、18歳のとき、自宅が火事で全焼し、持っていたエレキギターやアンプなどの音楽機材をすべて失ってしまいました。
そこで、やむなくアコースティックギター1本でできるフォークシンガーになったのでした。
泉谷しげるは若い頃にフォーク界の異端児だった
現在は、俳優やタレントとしての活動が目立ちますが、泉谷しげるさんは若い頃にフォーク界でシンガーソングライターとして活躍していました。
代表曲は1972年に発売された『春夏秋冬』です。
この曲は様々なアーティストからカバーされ、泉谷酸も2013年のNHK紅白歌合戦で『春夏秋冬2014』を歌っています。
デビューは、1971年、ライブアルバム『泉谷しげる登場』(エレックレコード)です。
70年代といえば、フォーク全盛期だと言われていた時期ですよね。
同じ事務所には、吉田拓郎さんも在籍されていたらしいのですが、吉田拓郎さんが退社されてからは、泉谷しげるさんが看板スターとして、事務所を支えていたのです。
この事からも、当時の人気ぶりが分かりますね。
それから1975年6月、小室等さん、井上陽水さん、吉田拓郎さんとフォーライフ・レコードを設立します。
有名な方ばかりですね。
この頃の泉谷さんの作風は、ゆったりとしたロックボーカルの志向がありました。音楽家の加藤和彦さんもゲストヴォーカルで参加しました。
評価は高かったのですが、セールスには結びつかず、ライブ数を減らし、俳優の仕事が増えていきます。
1979年6月、テレビ朝日系ドラマ『戦後最大の誘拐・吉展ちゃん事件』に出演し、テレビ大賞及び芸術祭優秀賞を受賞し、役者としても注目され始めました。
多才な方である事が分かりますね。
泉谷しげるはマンガ家を目指していた
泉谷しげるさんはマンガ家を目指していた時期がありました。
なんだか意外ですよね。
2016年11月に放送された「ダウンタウンDX」で、泉谷しげるさんの自宅が公開されていました。
自宅兼仕事場といわれています。
食事のシーンでは取材スタッフにも食べさせてくれる、思わぬ優しい行動があり話題になっていました。
歌手になる前はマンガ家を目指していたことを明かしてくれました。
泉谷さんはマンガ家として活動していた時期があり、10代の頃『トツゼン児』という9ページのマンガを投稿した雑誌『COM』1969年2月号でマンガ家の手塚治虫から批評を受けています。その時の採点結果が、テーマ100点、ストーリー70点、絵30点だったのです。
あの手塚治虫から批評を受けているのはすごい事ですよね。実に多才です。
泉谷しげるに結婚歴あり、娘と孫がいる
泉谷しげるさんは一般人の女性と結婚していたことがあり、娘と孫3人がいらっしゃいます。以前は3世代で同居していました。
泉谷さんは、現在、離婚して独身なのかは定かではありません。
上で述べたように、自宅兼仕事場で暮らしていますから離婚か死別か別居かされている可能性が高いと思います。
ある泉谷さんのブログでは、
「この数年~ライブに挑むときは完全ひとり暮らしのサバイバル状態」
と書かれていて、この文章から、普段は誰かと一緒に住んでいる、とも受け取れます。
やはり「破天荒キャラ」なだけにプライベートはあまり知られたくないのかもしれません。
娘さんは夫婦でラーメン屋『いずみ家』のオーナーをしています。
国道一号線(第一京浜国道)の馬込陸橋付近(東馬込)にあり、20席程度のお店です。※住所:〒143-0022 東京都大田区東馬込1丁目12−2
こちらのラーメン屋の経営者は泉谷しげるさんだそうですが、看板のデザイン意外に関しては泉谷さんはノータッチ。
豚骨醤油の横浜家系を看板に掲げています。評判もよく2021年6月時点で469件の口コミがあり評価が5段階中4.1と高めです。
孫は3人います。
泉谷しげるさんがおじいちゃんだと、少し自慢できそうですよね。
以前、「とんねるずのみなさんのおかげでした」に泉谷さんが出演し、孫におもちゃを買いすぎることが問題となり娘家族から隔離されていると話していました。
ちなみにお孫さんからは「じぃじ」と呼ばれているようで、破天荒キャラで毒舌な泉谷さんも、お孫さんの可愛さには勝てないようです。
破天荒キャラとは少しかけ離れた泉谷しげるさんのプライベートでしたが、優しい人柄が知れて益々応援したくなりますね。
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