歌手の中島美嘉さんは、2014年から2018年まで、日本の男子バレーボール選手の清水邦広さんと結婚していました。中島さんが東京、清水さんが大阪とお互い活動拠点が異なり、中島さんが往復する通い婚でした。家族の時間が作れず離婚に至ったとされます。2人の間に子供はいません。一部から、物理的な距離が縮まれば復縁もあるのではとの意見もあります。
元旦那は清水邦広
上でも述べたように中島さんの元旦那は清水邦広(しみずくにひろ)さんです。プロフィールを紹介します。
1986年8月11日に福井県福井市に生まれました。
身長192cm、体重97kg、足のサイズ30.0cmあります。
愛称は「ゴリ」。
職業は男子バレーボール元日本代表です。
バレーボールを始めたきっかけは、ママさんバレーをしていた母親の影響からでした。福井市にある下宇坂小学校に通学し小学4年生のとき「上宇坂スポーツ少年団」でバレーボールを始めました。
福井市立美山中学校と福井工業大学附属福井高等学校を経て東海大学に進学。
2007年、大学在学中の20歳のとき、全日本代表オポジットに選出されます。「オポジット」とは守備をほとんどせずスパイクを専門とするポジションのことで、チームで一番打数が多いことから「スーパーエース」とも呼ばれる場合があります。
2007年ワールドカップでは、初戦の勝利に貢献。
2008年、北京オリンピック世界最終予選を経て最年少の21歳で北京オリンピック代表に選出。
2009年4月、パナソニックのバレーボールチーム『パナソニック・パンサーズ』に入団しました。
同11月に開催されたワールドグランドチャンピオンズカップで全日本男子32年ぶりに国際大会の銅メダル獲得に貢献。日本の社会人バレーボール・Vリーグの1部リーグであるVプレミアリーグではパナソニックの2年ぶりの優勝に貢献。最高殊勲選手賞、スパイク賞、ベスト6を獲得。
その後も活躍を続け、2015年に開催の第18回アジア選手権で優勝に大きく貢献し、MVPに輝きました。
2018年2月18日に行われたVファイナルステージの対「JTサンダーズ広島」戦で、アタック後の着地で右足を負傷し、右前十字靱帯損傷で全治12か月と診断されてしまいました。
数回の手術とリハビリを行うことで復帰し、2019-20シーズンより2シーズン連続でV.LEAGUE(旧、Vプレミアリーグ)の敢闘賞を受賞。
出会いは中島の一目惚れから
2011年、中島さんがバレーボールの試合を観戦したことをきっかけに、知人を介して中島さんと清水さんは知り合いました。
写真撮影後に中島さんは連絡先を渡し「お友達になってください。イヤだったら捨ててください」と気持ちを伝え、清水さんは「めっちゃ嬉しいっす」いと喜びを返答。
後日、某インタビューでのこと。中島さんはバレーボール観戦が好きで、清水さんに一目惚れだったそうです。「見た瞬間、私の好みって! もう、顔もすべて私の好みなんですよ」と話し、「勇気をふりしぼってアプローチしたはいいけど、あまりにもストレートすぎて、向こうはわけわかんなくなっちゃってトレートすぎて、向こうはわけわかんなくなっちゃって」と語っていました。自分の連絡先を書いた「お手紙渡してからそこから始まりました」とも。
一方、清水さんは、「中島美嘉」というアーティストの存在を知ってはいましたが、目の前の女性が当人であるとは思わず「誰かお偉いさんの娘さんかな」と思っていたそうです。
同年の夏頃から交際が始まりました。中島さんが清水さんが住む大阪に通うなどして長距離恋愛でした。ユニーバーサルスタジオジャパンなど大阪府内で頻繁にデートを重ね、2014年から公の場でも堂々と左手薬指に指輪をするようになりました。
清水さんは大阪郊外に3LDKのタワーマンションを借り、いつでも中島さんと新婚生活できるような状態を整えていました。
クリスマスに結婚
2014年12月25日、中島さんと清水さんは結婚しました。当時、中島さんが31歳、清水さんが28歳。
中島さんが「1年で最も好き」と公言しているクリスマスの時期に、婚姻届を提出するよう調整していました。
中島さんは「頼りがいのある優しい性格で、ずっと支えてきてくれました。これからは妻として清水さんを支え、感謝の気持ちを忘れず、お互いを想い合う幸せな家庭を築いていきたいと思います」とコメント。
スレンダーな中島さんと愛称「ゴリ」の清水さんは「美女と野獣夫婦」と呼ばれることも。清水さん192cmと中島さん160cmで身長差は32cm。
同11日には東京都内で行われたクリスチャン・ディオールのファッションショーに中島さんが来場し、左手薬指に大きな宝石が光る指輪をはめていました。きっと婚約指輪だったのでしょう。
通い婚で久しぶりの再開でハグ
結婚前から遠距離恋愛で、結婚後も中島さんは東京と大阪を月に3,4回行き来し月に通い婚。大阪に借りたマンションで清水さんの選手生活をサポートしていました。
一方、清水さんは大阪を拠点とするパナソニック・パンサーズでプレー。リーグは毎年10月から4月まであり、土日は相手チームまで遠征し、東京、愛知、堺市、箕面市などへ。それが終わると、全日本として世界を飛び回ります。
バレーで遠征中の清水さんを応援に訪れた中島さんが、久しぶりの再会にこらえきれず、「ちょっとハグさせて」とハグし、清水さんは「(カメラに)映ってまうから」と優しく抱えていました。
中島さんは清水さんから精神面でサポートされたことを明かしていました。
中島さんは、清水さんのメンタルが人並み外れて強いと話します。ずっとそれが不思議で、パワーの源を清水さんに聞いたところ、ポジティブなことを口にするという方法が返ってきました。具体的には「今日は疲れた、もう何もやりたくない」と思っていても「全然平気、超やりたい!」と口にすることを実践したところ本当にその言葉どおりになったそうです。
それからコンサートをするたびにすごく緊張して毎回逃げ出したくなるくらい怯えていたそうです。清水さんから「辛いときこそ、笑ってみろ」と助言を受け、「歌いたくてたまらなかった」と口ずさむとすごく楽しくなったと語っていました。
離婚した理由は
2018年2月2日、中島さんと清水さんは代理人が離婚届を提出し離婚しました。
その翌日3日に離婚が正式発表されました。
同日清水さんは自身のTwitterを更新し「この度、私たちは2月2日に離婚届を提出しましたので、ご報告させていただきます」と連名で報告。続けて「2人でしっかり話し合いを続けてきた結果、別々の道という選択肢がお互いの将来のために最善であると考えました」と説明。
離婚原因は2人の遠距離生活の難しさでした。「東京と大阪でのそれぞれの生活が多く、家族としての時間を作ることが難しかったですが」とも。
中島さんは音楽活動が多忙で完全に2人で同居することは最後までできませんでした。加えて、中島さんは結婚前に購入した母親と住むための東京の家もあります。このように、2人の距離は心の距離までも離れてしまい、離婚を決断したと言われます。
清水さんは同投稿に続けて「これまで一緒に過ごした時間はかけがえのないものですし、感謝しています。今後もお互いに夢を追いかけ、お互いの人生を応援していきたいと思います。皆様これからもよろしくお願いいたします」と締めくくっていました。
前年夏頃から離婚に向けた話し合いを続け、結果として協議離婚が成立したと言われます。
当初は問題なかった通い婚も次第にすれ違いが生じたとみられます。それは次のとおりです。
2016年11月に受けたインタビューで中島さんは「まだ夫婦という感覚にすらなれていない」と明かし「会えない分、会うと嬉しいし、夫婦というよりはまだ恋人同士みたいな感覚ですね」と述べていました。
2017年で某テレビ番組に中島さんがゲスト出演した際、「清水の理解できない行動は?」という視聴者からの質問に対し、「ふたりで過ごしているときも、イヤホンをして(ひとりで)映画を観ている(笑)。なぜ?」でした。このような些細な積み重ねが2人を離婚へと導いてしまったのでしょうか。
それから、テレビ番組『行列のできる法律相談所』にゲスト出演した際、「浮気されても構わない」とした上で「私が一番ならそれでいい」とも。それほど清水さんのことを信用していたのでしょう。
そして音楽関係者の証言では。あるとき清水さんが、中島さんにメッセージを送っても返信がなかったため、心配して何度も連絡をしたそうです。そのとき中島さんは眠っていたそうで「何かがあったらうちのマネージャーから必ず連絡があるので放っといて!」とイライラしていたんだとか。
子供はいない
なお、2人の間には子供はいませんでした。
離婚時に養育費の考慮は不要なため、離婚の取り決めは比較的スムーズだったと考えられます。
通い婚だったため会える頻度も低く、子供を作るタイミングもあまりなかったのでしょう。
もし清水さんがパパになっていたらイクメンになっていたことでしょう。それはプレー以外での特技に「掃除・洗濯」をあげているためです。
復縁の可能性は
遠距離を理由とした離婚だったため、同居できるなどの状況が変われば復縁の可能性もゼロではないと一部から言われることも。
中島さんと清水さんの離婚に関してSNS上では「離婚するわ大怪我するわ、神さまちょっと厳しすぎやしませんかね…?(離婚は同意の上なんだろうけども…)ずっと男子バレーの最前線にいる人にこんな仕打ちするの…?」と清水さんの気持ちを察する人も。
中島さんと清水さんは現在も現役で活躍しています。それぞれの夢に向かって進んでいるのでしょう。
コメント