高市早苗 旦那・山本拓と離婚、血のつながらない子供がいた

有名人

政治家の高市早苗さんの旦那や子供について見ていきます。

2004年から2014年まで政治家の山本拓(やまもと たく)さんと結婚していました。離婚理由は、「政治的スタンスの違い」とされます。

2人の間に子供はいませんでした。しかし、山本さんと前妻との間の子供を養子として受け入れていたようです。

それでは詳しく見ていきましょう。

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馴れ初め

高市さんと山本さんは1994年の新進党時代からの同僚議員で、古くから面識がありました。

高市さんは山本さんのことを「割と無愛想な人で、どちらかと言えば苦手な相手」と思っていました。山本さんは高市さんのことを「性格きつそうな女性だなあ」という悪印象を持っていたようです。

転機となったのは2003年11月、第43回衆議院議員総選挙で高市さんが落選した後のこと。時間的に余裕ができたせいか「自分の家庭を築いた上で、政策的にも人間的にも幅を広げられるといいだろうな」と漠然と考えるようになったそうです。落選翌日、母親から「ちょうど良いチャンスだから、落選中に結婚相手を見付けてよ」などと明るく言われたそうです。しかし、高市さんは後に「良い話が降って湧いてくるはずもなく、半分は諦めておりました」と語っています。

そして「山本さんは意外に親切な人だなあ」と感じたことがありました。それは、高市さんが総選挙で落選してしまった後に山本さんが励ましの連絡をくれたのです。「僕も落選経験が有るので、落選直後の大変さは分かります。短期間で国会事務所の撤収や秘書の再就職先探しもしなければならないのでしょうから、力になれることが有れば遠慮なく言って下さい」と。

高市さんの秘書だった弟の再就職となったのが山本さんの事務所でした。その他、FAX機などの事務機器も引き取ってもらうことに。「苦手だった元同僚議員に親しみを感じるきっかけが出来ました」と高市さんは語っています。

2004年5月下旬、経済人らと意見交換する場で、企業役員の方々から「今のうちに高市さんに結婚相手を見つけてあげなければなりませんね」という話が出て、高市さんからも「ちょうど結婚を前向きに検討したくなっていたところですので、御社の社員さんで良い方が居られたらお世話して下さいね」とお願いをして盛り上がったそうです。その会話に参加していなかったものの同席していた山本さんは聞いていたようです。

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プロポーズ

そして同年6月初旬、山本さんから電話がかかってきて、「真剣に結婚相手を探しておられるんでしたら、僕もバツイチですので、立候補しますよ」と言われ、高市さんは突然の意外な話でびっくりし、しどろもどろで対応し電話を切りました。「弟や事務機器を引き取ってもらった上に、次は自分を引き取ってもらえるのか・・」と可笑しくなってしまったそうです。「誰かからプロポーズされるなんて長年無かったことでしたので、やはり嬉しかったです」とも。

政治家としての山本さんの顔しか知らなく、生活を営む相手として性格が合うのかなど不安がありました。そして「前向きに結婚を望んで入るタイミングでこんなお話をいただいたのも、貴重なご縁かな」と思うに至り、1週間後にOKの電話をしました。

その後、お互い仕事に追われることもありましたが、電話とメールのやりとりで入籍に向けた段取りを進めました。後に「このあまりにも事務的な進行も変だったなあと苦笑してしまいます」と語っています。

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結婚と披露宴

2004年9月、高市さんと山本拓さんは結婚しました。当時、高市さんが43歳、山本さんが52歳。

同23日、高市さんは自身のホームページで「結婚のご報告」と題して結婚したことを発表しました。

「43歳の私にも、やっと奇特な『引き取り手』が現れ、この度、結婚致しました」と結婚を報告し、周囲から祝福のメールをもらい「ちょっぴり照れながらも、皆様のお気持ちが嬉しくて、1人で喜んでおります。本当に有難うございました!」と幸せを噛み締めていました。

子供の頃から思い描いていたような「運命的な出会い → 熱烈な恋愛 → 婚約 → 結婚式→ 新婚旅行 → 甘い新婚生活」というパターンではなく、同年5月から9月の短期間で話が進んでしまったことも明かしました。

お互いに勤務地が奈良県と福井県と離れていることから数年間かは別居婚になるとしました。しかし、高市さんは、「休日には極力時間を作って福井県に出かけて、家事や仕事のお手伝いなどで少しずつ妻の役目を果たせるといいなと思っています。人生は長いですから、時間をかけて安らげる家庭を築いていくつもりです」としました。

入籍することで、精神的にとても楽になったそうです。「遠くからでも、家族として見守っていてくれる人ができたことによる安心感のようなものだと思います。お互いの政治活動や政策構築を支え合いながら、頑張ってまいります」と伝えました。

高市さんは記者団の質問には「プライベートなことなので」と述べるにとどめました。

その後、高市さんと山本さんは、東京や大阪で披露宴を開きました。そこには当時、首相だった小泉純一郎さんや元首相の森喜朗さんなどが出席しました。

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結婚生活

2人は「国会議員夫妻」として知られるようになりました。結婚当時に落選中だった高市さんが2005年の第44回衆議院議員総選挙で当選し、夫婦共に衆議院議員となりました。第1次安倍内閣では、高市さんが大臣、山本さんが副大臣に。

山本さんは趣味が料理で料理師免許を持ち、多忙な高市さんを自慢の手料理で支えたとされます。

それは、2014年9月、安倍晋三首相の側近とされた高市さんが総務相に抜擢され、就任会見では、「就任当夜は調理師免許を持つ主人が食事を作ってくれました。ウフフ。毎晩作ってくれるんですが、大好きなチーズフォンデュとともに『おめでとう、がんばれよ』と」「ケーキも用意してありました。私の好きなホワイトクリーム系でした♪」と顔を赤らめることも。

山本さんも、「チーズフォンデュを作ったのは、手間がかからない料理だから(笑)。ケーキはやっぱりお祝いごとですからね。総務大臣は大役。全力で取り組んでほしい」と笑顔で答えていました。

2012年の総選挙で、高市さんは安倍晋三さんを、山本さんは石破さんを応援していました。家の中ではお互いに情報がもれないように会話が殆どなかったと言われます。

その後、山本さんは大臣就任の願望が強く、無派閥でしたが二階派に移り次の内閣構造に備えました。

一部から、高市さんと山本さんは「仮面夫婦」だと噂されたことも。

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離婚

2017年7月19日、高市さんと山本拓さんは協議離婚してしまいました。

「ご報告」と題した資料を連名で出し、「私生活面では円満に楽しく過ごしてまいりましたが」と振り返り、「お互いの政治的スタンスの違いが大きく、それぞれに信念を貫いて政策活動に没頭したいという結論に至りました」と離婚理由について説明しました。

同日、高市さんは記者団に離婚を問われ、「プライベートなことでございますので、ちょっと官邸のロビーでは……申し訳ございません」とうつむきがちに答えました。

山本さんはホームページに座右の銘として「バラバラでいっしょ~違いを認めて一緒に行動することが大事~」と掲載していました。それでも結婚生活に区切りをつけることに。

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子供

高市さんと山本さんの間に子供はいませんでした。ただし、高市さんは血のつながらない子供がいると言います。2007年1月21日、自身のサイトで「血は繋がらないものの素直でかわいい息子や娘が居りますので、十分に幸せです」と綴っています。

山本さんは前妻との間に子供がいて、高市さんはその子供を養子として迎えたと考えられます。

山本さんの長男は福井県議会議員の山本建さんです。プロフィールは次のようになります。

  • 1984年2月18日生まれ、福井県鯖江市出身。
  • 金沢学院大学卒業、2020年4月現在慶應義塾大学(通信課程)に在籍
  • 家族に妻・長男・ネコ

高市さんは、2007年11月4日に自身のサイトを更新し、長男から「産まれたよ!男の子。お医者さんに、元気過ぎるって言われた。おばあちゃんだね。エヘヘ・・」と電話をもらったことを明かしました。46歳で「おばあちゃん」になったことにショックを感じつつ、嬉し涙が溢れたと語りました。長男は学生時代からのガールフレンドと卒業直後に結婚し、とても若いパパになったとも。

娘のことや、高市さんが離婚後に養子縁組についてどのようにしたかは明らかになっていません。

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病気で子供が産めない身体に

2007年01年21日、高市さんは自身のサイトで、自分の身体は婦人科の病気で手術をしてから妊娠や出産が困難な状態にあるようで、子供を授かることを切望しつつも諦めたことを明かしています。

2006年、高市さんは、第1次安倍内閣で内閣府特命担当大臣に就任し初入閣しました。少子化・男女共同参画などを担当。

そして、2007年1月21日に出演したテレビ番組『報道2001』で「少子化対策」をテーマに扱いました。すると、自身のサイトなどを通じて「自分が子供を産んでから、少子化対策について発言しろ」「子供も産めない女が少子化担当大臣をするのはおかしい」といった指摘を受けたそうです。

これに対し高市さんは、「出産経験がある人しか少子化対策を担当してはならない」ということになると、「科学者ではない私が科学技術担当大臣であることにも、沖縄県民ではない私が沖縄担当大臣であることにも、正当性が無くなってしまいます」としていました。「任命権者である総理がお考えになるべきことですが・・」とも。

2007年1月27日、当時厚生労働大臣だった柳沢伯夫さんが「産む機械は数が限られているから」との発言を行った際、高市さんは「私は子供を授かれない体なので、機械なら不良品になってしまう」と批判しました。

柳沢さんは「機械って言っちゃ申し訳ないけど」「機械って言ってごめんなさいね」との言葉も挟んでいて、後に、「人口統計学の話をしていて、イメージを分かりやすくするために子供を産み出す装置という言葉を使った」と説明しました。一部からは「比喩としては問題あるかもしれない」とした上で「子供を産まない人、産めない人を批判している言葉じゃない」とする意見も。

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夫婦別姓について

高市さんは山本さんと結婚した際、戸籍上の姓は「山本」、普段は旧姓の「高市」としていました。離婚したことで、戸籍上の姓は「高市」に復氏となりました。

2014年、選択的夫婦別姓法案に反対を表明しました。「選択的夫婦別姓以外に多くの制度変更が盛り込まれている」のが理由だとしました。「通称名の使用が認められる形で十分と考えている」とも。

女性初の総務大臣に就任したことのある高市さん。今後も活躍に期待したいですね。

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