女優の羽田美智子(はだみちこ)さんの元旦那について見ていきます。
2011年に水中探検家の広部俊明(ひろべとしあき)さんと結婚しました。
羽田さんは東京、広部さんは沖縄を仕事の拠点として、通い婚のような生活でした。結婚後まもなく妊娠しましたが流産してしまい子供に恵まれませんでした。
2017年に2人は離婚。お互いに拠点が違うことから家族としての時間が持てず、生活のすれ違いが離婚の原因の1つといいます。
離婚後も2人は友人関係を続けているんだそうです。
それでは詳しく見ていきましょう。
元旦那は水中探検家の広部俊明
羽田さんの元旦那は広部俊明さんです。
プロフィールを紹介します。
- 1965年4月29日生まれ
- 東京都世田谷区出身
- 日本大学文理学部応用物理学科卒業
- 父親が東京大学名誉教授の廣部雅昭さん
- 日本最大の海底鍾乳洞「広部ガマ」を発見した水中探険家。水中カメラマン、音楽家としても活動
音楽家としては、1986年にバンド『夢工場』でボーカルを務め、大手音楽ソフトメーカー『ポニーキャニオン』からメジャーデビュー。音楽のコンセプトが似ていたことから「第二のチェッカーズ」と呼ばれていました。
馴れ初めは仕事関係で
2001年に羽田さんがエジプト・アレクサンドリア沖の海底遺跡の水中取材に備えダイバーのライセンスを取得する際に、広部さんがインストラクターの立場で2人は知り合いました。
羽田さんは、小さい頃におぼれかけて海がすごく怖く、そのトラウマがなかなか拭えなくダイバーのライセンス取得を諦めかけていました。そんなとき、広部さんから「守るべきことを守ってさえいれば最も安全な場所。そもそも人間は海から生まれてきたんだよ」と諭され「怖いから辞めます、帰りますってことは、逃げるってことじゃないのかな」とも言われ、その「逃げる」という言葉が胸にずっしり心に残り羽田さんは海の怖さを克服しライセンスを取得できました。
それから何年もの間が経ち、2009年以前に、再会し交際を開始しました。
当時、羽田さんは仕事に追われる生活を1人で続けていくことに限界を感じていました。そんなとき、たまたま広部さんが東京に出てきて連絡をくれたそうです。羽田さんがその自分の悩みを相談すると、広部さんは「自分は一生独身だと思っていた。でも、(羽田さんに)もし結婚というスタイルにこだわりがあって、自分でもよかったら…」と言ってくれたそうです。そして、結婚前提の交際が始まりました。
結婚とメッセージ
約2年間の交際を経て、2011年5月5日、羽田さんは広部さんと結婚しました。当時、羽田さんは42歳、広部さんは46歳。
羽田さんは直筆メッセージで、広部さんについて「海を愛する彼から、自然の美しさと尊さを学び、一緒に人生を伴にすることで、私の世界も広がっていくように感じています」とコメントし、「一生独身で仕事だけの人生かもしれないと覚悟もしていた私ですが、あるがままのお互いを受け入れられる結婚が待っていてくれたことに、感謝の気持ちでいっぱいです」と喜びを綴っていました。
結婚生活は東京と沖縄の「通い婚」
仕事の拠点がお互いに異なり、羽田さんが拠点にしていた東京と広部さんが拠点にしていた沖縄県恩納村に居を構えました。このため、羽田さんは仕事の合間に年2回ぐらいのペースで沖縄を訪れる「通い婚」のような生活を送っていました。
2017年2月16日掲載のウェブサイト『琉球新報Style』のインタビューで、遠距離結婚について羽田さんは、「逆に、2人とも独身生活が長かったので、他人との共同生活が本当にできるんだろうか、結婚というスタイルは向いていないかもしれないなっていう不安がお互いにあったんです。なので、ちょうどよかったのかもしれません。会いたいときに会える、ほどよい距離感がいいのかなって」と語っていました。
また別のインタビューで、「結婚は異文化交流というか(笑)、誰かと一緒に暮らすことはお互い驚きの連続で。でもそれは、良い意味で自分とは違う考え方を知るきっかけにもなる。今までいかに自分中心に世界を見てきたかが分かりましたし、何か問題が起きても違う視点で考えることができるようになりました」と結婚によって得られた変化があったそうです。
さらに、離れて暮らす夫婦のコニュニケーションについて、「夫がまったくメールをやらないので、基本電話ですね。文章ではなくて、しっかりと言葉で伝え合うようにしています。あとはテレパシーかな(笑)?あっと思った瞬間に電話がかかってくることがあって、なんか通じ合っているというか」とユーモアのあるエピソードを明かしていました。
妊娠したが流産し子供はいない
羽田さんと広部さんとの間に子供はいません。
結婚後まもなく羽田さんは妊娠しましたが、妊娠5ヶ月で流産してしまいました。流産後の分娩で羽田さん自身も生死の境をさまようほど心身に負担がかかってしまったとも。
妊娠と流産に関して、親しい人にしか知らせていませんでした。2020年10月に出版した羽田さんが著者のエッセイ本『羽田さんに聞いてみた、小さな幸せの見つけ方』で初めて公になりました。羽田さんさんは、このタイミングでエッセイを出版したことについて「52歳って人生の大きな節目の時だなーと思うんです。そんな時だから話せること。ありのままの私が詰まっています」とブログで綴りました。
羽田さんをよく知る関係者は「40代での高齢妊娠で妊娠5か月での流産。辛すぎる経験だったので、これまで誰にも明かしてはいませんでした」と述べ、続けて「当時の医師から『心が癒えてからでいいから、高齢出産の危険性をみんなに伝えてね』と言われていたことが、ずっと心に引っかかっていて、その使命感から今回明かしたようです」とコメントしていました。
結婚当初、42歳の羽田さんは、35歳以上の初産婦(しょさんぷ)であり「高齢出産」に該当しました。一般的に40代になると卵子や子宮の能力が著しく低下してしまうことが知られています。高齢出産のリスクは、妊娠中の産科合併症になりやすく、流産率が上昇すること、また染色体異常の頻度が増すことなどです。
離婚とその原因
2017年、羽田さんは広部さんと離婚してしまいました。
離婚したことが公になったのは、その翌年の2018年3月9日、羽田さんが自身のブログで発表したことによります。
ブログでは広部さんとの連名で、「私たちは、昨年中に離婚という道を選び、お互いに新しい人生をスタートすることになりました」と報告。「元々仲の良い友人同士であり、人生をともに歩めたことはかけがえのない時間でしたが、拠点の違う二人にとって、家族としての時間を築くのは簡単なものではありませんでした」と綴り、東京と沖縄の離れた場所で通い婚を続けてきて、生活のすれ違いが離婚の原因の1つだったことを明かしました。続けて「これからもお互い大切な友人であり続けることは変わらないと思います」と離婚後も友人関係を続けるとしました。
2020年11月23日掲載のウェブサイト『NEWSポストセブン』で、50歳を目前に離婚した羽田さんは、「急に将来のビジョンが見えなくなってしまって、暗闇の中をさまようような感覚」になったといいます。さらに、「更年期」を自覚するとともに、それを英語で「change of life(人生の転機)」というポジティブな意味があることを知ると、未来が明るく開けたと認識したそうです。
一部から、旦那が宗教に関わり、それが理由で離婚したと噂されます。しかしそれは他人と混同されたのでしょう。羽田さんと外見が似ているとされる女優の若村麻由美さんは、2007年、宗教団体『釈尊会』の会長である小野兼弘さんと死別しています。
再婚の意思は
2019年8月10日にテレビ番組『メレンゲの気持ち』にゲスト出演した際、羽田さんは広部さんと離婚後も定期的に連絡を取っていることを明かしました。
「こんなにけんかはできて、ここまで自分を見せられる人は初めて。夫婦って不思議です。出会って、離婚という過程を踏んだけど、今は友達として。人生って色々なことを経験したもん勝ちだなと思った」と同番組内で話していました。さらに離婚理由について「一緒に住んでいなかったことで不都合があって、ストレスがたまってしまった」と振り返っていました。再婚について聞かれると「人生は長いから、そういうことがあってもすてきですね」と明かしていました。
現在、羽田さんは、実家の家業を継いで、2019年からセレクトオンラインショップ『羽田甚商店』を営んでいます。「羽田甚(はだじん)」とは、羽田家に代々伝わる屋号で、2015年に両親の代で150年の歴史に幕を下ろしました。しかし、その状況に寂しさを感じた羽田さんは6代目店主として「羽田甚」を受け継ぎました。
広部さんと離婚後も友人関係が続き、さらに先代の屋号を受け継いだ羽田さん。独身に戻っても結婚前に感じていた1人で生活する限界を払拭(ふっしょく)できているのではないでしょうか。
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