日本の女優、西村知美さんの旦那さんについてまとめました。
職業や離婚の有無などについても詳しくまとめてあります。
西村知美の旦那は元アイドルグループCHA-CHAのメンバー西尾拓美
日本の女優、西村知美さんの旦那さんは西尾拓美さんです。
1980年代の後半から芸名「西尾 巧(たくみ)」で声優をしていました。
その後、1988年から1990年代前半にかけて、アイドルグループ『CHA-CHA』のメンバーとして活躍していました。あの勝俣州和さんが所属していたCHA-CHAのメンバーだったわけですね。
CHA-CHA解散後は、1994年に所属事務所を浅井企画から芸映へ移籍して、歌手やドラマでの俳優として活躍しましたが、1996年に引退します。
芸能界引退後は、料理人へ転身します。料理人についての詳しいことは後述します。芸能界から料理人という全く異なる職種への移行なので、頑張ってほしいですね。
西村知美と旦那はドラマ『星の金貨』で共演していた
西村さんと西尾さんの馴れ初めは、1995年放送のドラマ「星の金貨」での共演です。
西村さんは「遠藤園子(彩の親友・看護師)」役を、西尾さんは「神崎直人」役を演じています。
二人の結婚は1997年ですから、既にドラマで共演していたときにはお付き合いされていたのです。
馴れ初めは、1987年ラジオ番組共演がきっかけです。すぐに交際がスタートして10年後にご結婚という流れになります。
共演がきっかけとなるのは芸能界によくある出会い方ですよね。羨ましいなー!
西村さんと西尾さんの夫婦としての特徴がいくつかあるので挙げてみます。
- 夫婦喧嘩をするとクマのぬいぐるみを介して仲直りする
- 夫に浮気されても平気、「浮気するときは予め紹介して」と頼んである
- 夫は料理が得意で魚がさばける
- 夫は泥酔すると人格が変わる
- 夫は寝起きがとても悪い
- 夫と一緒に日帰りで温泉に行く、都内の温泉はほとんど制覇した
夫婦喧嘩をして、クマのぬいぐるみを介して仲直りって、どんだけかわいいんですか(怒)羨ましいおしどり夫婦ですね。
西村知美の旦那はさだまさしがオーナーの南欧料理店の店長を務めた
西尾は、芸能界引退後に、料理人に転身します。
さだまさしさんの高校時代の同級生・野津氏が経営する渋谷区の南欧料理店『モンペトクワ』の店長を2004年9月30日の閉店するまで務めます。
自分の店を開く前に、さだまさしさんがオーナーの店で働いていたんですね。
広い店内で心地よい雰囲気で、料理はアラカルトのスタンダードメニューがすべて1000円以下でリーズナブル。
アラカルトとは日本語で言う一品料理のことです。
ワインやカクテルの種類が豊富で手頃な値段なので、大勢の仲間と飲食するのに最適だったそうです。
「おまかせで・・・」と言うと、西尾は料理とそれに合うワインを選んで創作料理を作ってくれたのです。
お店は、最初、元CHA-CHAの西尾さんを目当てに来るファンもいて人気があったのです。
しかし、料理が出てくるまでの時間が長いことと、味は美味しいけれどボリュームが足りないという不満がありました。
閉店直前はお店が賑わう夜の時間帯でも客が数人しか居なかったのだそうです。
料理が出てくるまでの時間が長いのは欠点ですね。お腹ペコペコできているのに、何十分も待たされたらそりゃあ嫌な気分になります。
また、美味しいがボリュームが足りない、ということは量より質にこだわっているのですね。
しかし、客からしてみれば美味しくて尚且つ量も求めているのですから、難しいところですね。うまく両立しなくてはなりませんね。
西村知美の旦那はなぜか渡米して寿司職人を目指す
よく意味が分からないのですが、さだまさしさんの店を辞めた後、渡米して寿司職人を目指したそうです。日本で習えばいいのに・・・。
アメリカには叔父夫妻が暮らしていました。
その頃には西村さんと結婚し念願の娘さんを授かっていたので、家族を置いての単身渡米だったのです。
本当に謎ですね。海外って、寿司といっても創作して変な寿司まで作ってるらしいですから、日本の伝統的な寿司を習えばよかったのではないのでしょうか。まあ、本人の勝手ですがね。
西村知美の旦那の現在の職業は韓国料理屋『韓屋(ハノク)』を経営
そんな西尾さんは、現在、韓国家庭料理店『韓屋(ハノク)』を経営しています。
渋谷の広尾にあります。※住所:東京都渋谷区広尾5-8-11 バルビゾン22ビル 1F
カジュアルな雰囲気で、女子会や家族連れで賑わう人気店で、ここまで色々ありましたが、経営は順調のようです。
もし渋谷に行く機会があったら是非行ってみたいところですね。
西村知美が不妊治療がうまく行かなく離婚の危機あり、相田みつをの詩に救われる
西村さんと西尾さんは離婚したのかという噂がありました。
しかし、離婚はしていません。
離婚の危機があったのです。
それは、西村さんが子供に恵まれなく、不妊治療を開始しますが、流産を2回経験します。
妊娠している犬にまでも嫉妬するほど西村さんや精神的に病んでいた時期がありました。
あるとき、夫婦げんかになり西尾さんから「そんなに(子どもが)ほしいんだったらら僕と離婚してほかの人と子どもつくればいいじゃないか」と言われてしまったのです。
西村さんは泣きじゃくったといいます。
しかし、そんな離婚の危機の中、西村さんは、詩人の相田みつをさんの次の詩により心のスイッチを切り替えることができたのです。
「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」
相田みつをさんの言葉に出会い、救われたんですね。相田みつをさんはほんと凄い方ですね。
そして、娘「咲々(ささ)」さんが2003年8月2日に生まれました。
「たくさんの花を咲かせてほしい」という思いを込めて「咲々」と命名したのだそうです。
上の写真のとおりです。大きくなりましたね。
ちなみに、目黒日本大学高校で渡辺美奈代さんの次男・矢島名月(なづき)さんと同級生なんだそうです。
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