雨宮塔子 旦那・青木定治と離婚し現在子供とパートナーとフランスで

有名人

アナウンサーでエッセイストの雨宮塔子さんの旦那と子供、現在のパートナーについて見ていきます。

元旦那は、パリ在住のパティシエ(菓子職人)の青木定治さんです。2002年に結婚し、2人の子供に恵まれましたが、2015年に離婚してしまいました。離婚理由は、生活のすれ違いと言われます。

離婚後、青木さんは日本人女性とスピード再婚し2021年2度目の離婚をしたと言われます。

一方、雨宮さんは、子供2人を引き取り、フランス人のパートナーができました。

それでは詳しく見ていきましょう。

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元旦那はパティシエの青木定治

出典:青木定治のInstagram@sadaharuaoki_official、2020年1月28日投稿

雨宮さんの元旦那は、パリで『パティスリー・サダハルアオキ・パリ』のオーナーシェフを務めるパティシエの青木定治さんです。

青木さんのプロフィールは次のとおりです。

1968年7月1日生まれ。

愛知県名古屋市出身。

1989年まで洋菓子店『Chandon(シャンドン)』に勤務後、単身でフランスに渡りました。

1998年に「パリ7区」にアトリエを構え、2001年に「パリ6区」にブティックをオープン。

2002年に雨宮さんと結婚し、2003年に長女、2005年に長男が誕生。

2007年、フランスで創設された世界最高峰の菓子職人の組織『ルレ・デサール』のメンバー入りを果たしました。

2013年、雨宮さんと別居し離婚の協議を経て、2015年に離婚が成立。

2015年8月、老舗デパートの広報を務めていた日本人女性と再婚し、2021年に2度目の離婚。

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馴れ初めは雑誌の取材

雨宮さんは、1999年、TBSを退社し、学生時代の夢であった絵画の勉強をするためフランス・パリに単身で渡りました。そこで、西洋美術史とフランス語を学びます。ちなみに、1993年に成城大学文芸学部を卒業しています。大学時代に、フランス・パリに留学しその土地勘も得ていました。

2002年6月に、パリ市内に店舗をオープンしたばかりの青木さんと女性誌『Oggi』に掲載する菓子関連記事の取材のため出会いました。

同誌の連載でパリの生活をつづるコラムの取材をしていました。料理は何度もテーマに取り上げていましたが、「どうしてお菓子の話がないのか」と編集者に指摘され、たまたま紹介されたのが青木さんでした。

青木さんに取材すると、お菓子への情熱は大きかったのですが、雨宮さんが望んでいることとまったく違う答えが返ってきて、その日は帰りましたが、全然文章にできなかったそうです。それで、もう一度話を聞かけてほしく電話すると、青木さんから「電話じゃ…、もう1回来てくださいよ」と言われ「面倒くさいなあ」と思いながら再び取材しに行きました。最初の出会いについて、お菓子の知識のある人には質問に答えるけど知らない人には嫌になってしまうようで、と青木さんを分析し、自身の取材態度は全然ダメだったと、と雨宮さんは振り返っていました。

そうしているうちに2人の交際が始まりました。

パリの面積は世田谷区と同じくらいで、青木さんは自転車を使って会いに来てくれました。新作のお菓子ができたからと青木さんは夜に届けてくれることもあったそうです。「善意の押し売りとか大嫌いなんですけど、そうじゃなかった。駆け引きとかゼロの人ですから、本当に食べてほしくてきたのが分かりました。私はほわほわしたムースがダメなんですけど、彼のお菓子はムース系が少ないのもよかった」と雨宮さん。

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スピード結婚

交際4ヶ月ほどを経て、2002年10月26日に結婚しました。当時、雨宮さんが31歳、青木さんが34歳。

当時、挙式の予定はないとされました。

世間からよく電撃結婚と言われますが、付き合いは濃かったと雨宮さんは言います。青木さんはオーナーシェフで、雨宮さんはフリーで仕事しているから、1日のうちこの時間だけでも取材すると決めて毎日会っていました。

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子供は2人

出典:雨宮塔子のInstagram@amemiya.toko、2020年7月5日投稿
出典:雨宮塔子のInstagram@amemiya.toko、2021年3月15日投稿

雨宮さんと青木さんの間には子供が2人います。

  • 長女:2003年7月5日生まれ、Sayaさん
  • 長男:2005年3月14日生まれ、Masayaさん

雨宮さんは自身のInstagramで、長男の誕生日について「ホワイトデーが誕生日ってどうよ」とハッシュタグ付きでツッコミをいれることも。

2010年頃、雨宮さんが公の場に姿を現したとき、局アナ時代よりスリムになっていました。「いやいや、息子ダイエット」と雨宮さんは笑いました。

それは、当時5歳になる息子は、面白いことがないと、横断歩道で大の字になって寝転び、雨宮さんが「じゃあ、そこにいなさい」に言うと、近所のおばちゃんに注意されてしまうのだそうです。幼稚園では歌ったり踊ったりが大好きなのですが、集団でのお遊戯は「僕はやりたくない」と主張がありました。このように子供の世話をしていると自然とダイエットにつながったようです。

子供の通学先は、公開されていませんが、フランスの代表的な学校として『インターナショナル・スクール・オブ・パリ』と『日仏文化学院パリ日本人学校』が候補にあがります。学費が高いと一部から言われているため、もしかしたら前者の『インターナショナル・スクール・オブ・パリ』に通っているかもしれません。

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結婚生活は「母子家庭状態」

雨宮さんは結婚後もパリを拠点に美術の勉強と仕事を続けました。

日本で活動していた頃に担当していたテレビ番組『チューボーですよ!』に何度かゲスト出演することもありました。

パリでの生活ぶりを綴った著書『金曜日のパリ』『パリ、この愛しい人たち』など9冊あり、エッセイストの顔も持ちました。

一方、青木さんは、パリに4、日本に5、台湾に2店舗を出店するなどパリを拠点に事業を拡大していきました。

フランスに渡った当初から日本に戻る気はなく、雨宮さんいわく「老人になったら分からないけど、日本に住む感覚がない人」なのだそう。

2013年、青木さんは世界最大のチョコレートの祭典「サロン・デュ・ショコラ」で最優秀賞を受賞。

深夜12時前に帰宅することはまずなく、ふだんは「母子家庭状態」で、子どもたちが根付いてからが仕事の時間でした。

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離婚とその理由

2015年3月、雨宮さんと青木さんは離婚してしまいました。

さかのぼること2013年に青木さんのほうが家を出る形で別居生活が始まりました。

離婚に向けた話し合いを切り出したのは2014年の春でした。雨宮さんと青木さんは、それぞれで代理人を立ててフランスで離婚手続きが進められていたようです。

離婚理由は、すれ違い生活で2人の間にできた溝が修復できないほど大きくなってしまったことのようです。どちらかの不倫などではないと言われます。

離婚が成立するまでに時間がかかったのはフランスでの離婚手続きが煩雑なことと子供がいることからでした。

雨宮さんは文書で、「日本に彼がお店を出してから10年目を迎えますが、それ以来、離れている時間が多くなりました。彼は家族のためにも一生懸命働いてくれているのですが、パリでの子育てに孤軍奮闘している私には、彼と共有できるものが全くない寂しさに堪え切れませんでした」と明かしました。その上で「それでも添い遂げたいと思ってやってきましたが、結婚10年目を迎えた節目の年に、変わらぬ現実を前に、ついに答えを出した次第です」とも。

フランスで夏のバカンスを家族で過ごすのが当たり前と言われます。それにも関わらず、雨宮さんは家族で海外にでかけたのは、2012年に青木さんの店舗の視察を兼ねて出掛けた台湾ぐらいだったと言います。

一方で、青木さんは、パリでセレブな生活の経験をエッセイに書いている雨宮さんのことを「浪費癖がある」と不満をつのらせていたんだとか。

青木さんとの間に産まれた2人の子供は雨宮さんが引き取りました。ただ、フランスの法律に則り離婚後も雨宮さんも青木さんも親権を持つ共同親権としました。

雨宮さんは、今後もフランスのパリを生活の拠点と定め、仕事が入った時に帰国するという生活を続けるとしました。

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元旦那のスピード再婚と2回目の離婚

2015年10月、青木さんは老舗デパートの広報を努めていた女性と再婚しました。離婚してから5ヶ月ほどのことでした。

再婚相手は、福岡県のデパート広報を10年以上勤めていた30代後半の女性と言われます。地元メディア関係者や財界人の間ではよく知られた美人広報でした。ショートカットがよく似合い、小柄ながらスタイルが良いとの評判です。仕事一筋で今回が初婚。

青木さんとその女性が交際を始めたのは2015年春ごろだったと言われます。青木さんからプロポーズしたんだとか。

青木さんの再婚について、雑誌のインタビューで雨宮さんは、「人と人との関係って変化するし、たとえよくない結果に終わっても、その経験が自分を豊かにしてくれることもあると思います」と前向きな考えが見られました。

その女性の知人によると、2021年夏までには青木さんと離婚したと言われます。このことを雨宮さんも知っているようで、驚いてはいなかったようです。フランスの離婚率は30%ほどでパリだと50%を超えていると言われます。経済的に自立した女性も多いことから結婚と離婚の考え方が柔軟なんだとも。

ちなみに、現在、その女性はフランスを離れ日本に帰国し、レストランでサービスを担当することやソムリエなど食に関する仕事をされています。パティシエの鎧塚俊彦さん、辻口博啓さんとも交流があり、青木さんともそうで、パティシエとのつながりがありますね。

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パートナーはフランス人のカンフーの先生

2016年7月6日発売の雑誌『女性自身』で、雨宮さんはカンフーを教えるフランス人男性との交際が報じられました。

同誌によると、雨宮さんのパートナーは子供たちにカンフーを教えている先生だと伝えています。

雨宮さんの所属事務所はパートナーの存在を認めた上で「結婚(再婚)の予定はありません」とコメントしていました。

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「子供を捨てた」のバッシングは的外れ

雨宮さんは、2016年7月下旬より、TBSの報道番組『NEWS23』のメインキャスターを務めました。1999年に同局を退社して以来、同局でのレギュラー番組は17年ぶりとなりました。

キャスター復帰に当たって、フランスにいる元夫の青木さんに子供たちを託す決断をしました。

この決断に対して世間で「母親失格」のバッシングが巻き起こりました。発端は雑誌『女性自身』(2016年7月19日号)の「雨宮塔子『2児押しつけ帰国』と『パリ同居現パートナー』──『キャスター決断』の陰に『後妻の忍従』!」という記事でした。

同記事では、雨宮さんがキャスター復帰に当たり子供2人を元夫の青木さんに託し、それに対して青木さんの再婚した女性が憤慨しているというものです。

「2人の子供を押しつけておいて、自分は帰国するなんてあまりに身勝手。私はベビーシッターじゃない!」

同誌は、再婚相手から直接ではなく、その知人から又聞きとしてこのコメントを掲載しました。

これに対し、ネット上では、「中山美穂と同じ臭いがする」「最近子供捨てる母親増えてきたわ」「ニュースキャスター失格だな!」などバッシングが起きました。

しかし、雑誌『婦人公論』(2016年8月9日号)に「子どもをパリに残して、45歳の再出発」というタイトルで、一連のバッシングが的外れだったことがわかりました。今回の雨宮さんの決断は、子供たちからの提案されたものだったからです。

雨宮さんは、当初、TBSからオファーがあったとき気がかりだったのは子供の学校のことでした。子供から最初に言われたのも「学校がかわっちゃうの?」でした。パリで生まれ育った子供にとって、日本へ転校することに抵抗があったのでしょう。

長女から「でもママ、この仕事は諦めちゃダメだよ」「ママはママの人生を生きてほしいけど、自分たちはこの環境を変えたくない」とました。

さらに、雨宮さんのパートナーも「子どもたちの面倒を見る心構えはできているよ」と言ってくれたそうです。

再び、子供が「その気持ちは嬉しい。でも、パパという選択肢はないの?」と伝えてきて、青木さんに話したところ、引き受けてくれることを即答してくれました。

それで雨宮さんの決心が固まったのです。

このように、「子供を捨てた」というバッシングは的外れだったことがわかります。

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フランス思考の子育て方法

さらに雨宮さんは、「親と子は依存し合うのではなく、お互いの意思をきちんと伝え合う」というフランス社会には独立した親子関係があると言います。

日本社会において、母親への育児の押し付けや母性神話などで、子供を過保護にし子供の自立を妨げる弊害が少なからずともあるとされます。

雨宮さんも以前は母子密着的な考え方を持っていて、幼稚園の壁によじ登って子供の様子を覗いていたこともあったそうです。そんなとき、あるフランス人から「あなたは子どもとの距離が近すぎる」と言われてしまい、子供との距離について考え直したそうです。

フランスでは女性は母親であると同時に妻であり女であるという考え方があります。自分を楽しむためベビーシッタなどを雇い外へ出て、子供との距離を作ることで、子供も親離れがしやすく母親にも働いてほしいと思えるようになるというものです。

雨宮さんは、このフランス的な考え方を選んだと言うことになります。

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再度、フランスに戻り子供と生活する

2019年5月31日を以って『NEWS23』を降板し、再度フランスに戻ることになりました。雨宮さんは「フランスにまた戻るのですけど、そこで触れたヨーロッパの振る文化や女性の生き方などを時折、この番組でお伝えできればと思いますので、皆さん3年間、温かいご支援ありがとうございました」と伝えました。

雨宮さんは自身のInstagramで、時々、子供とのフランスでの生活を投稿します。

2020年11月5日の投稿では、「左肘骨折で1カ月ギブスをしていた息子」とコメントし、水色のギブスをはめる息子さんの写真も公開されました。フォローワーさんから「息子さんお大事に!」というコメントがちらほらと。

2021年5月31日の投稿では、「久しぶりに娘とデートしました」とコメントし、テラスでお茶をしている写真を公開しました。

2021年8月4日の投稿では、「14日間の自主待機はなかなかしんどかったけれど、子どもたちと久しぶりの東京の夜景を眺めながら、それぞれに物思う日々でした」とコメントし、子供を連れて一時的に日本に帰国しました。このように、子供たちとの仲が良さそうです。フォローワーさんから「お帰りなさ〜い」「体調に気をつけて、良い滞在となりますように」など温かいコメントで迎え入れられました。

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