女優の高島礼子さんはバイクに乗ることで知られます。
元夫で俳優の高知東生さんの影響で大型自動車二輪の免許を取得しました。アメリカで有名なハーレーダビッドソンを所有しているとされます。
もともと車好きで、カーレースに出るために必要な国内Aライセンスを取得しています。結果として女優に転身することに。
それでは詳しく見ていきましょう。
ハーレーダビッドソンを所有
高島さんはアメリカで有名なメーカー『ハーレーダビッドソン』のオートバイ「FLSTS ヘリテイジスプリンガー」を所有していると言われます。
元夫の高知さんの影響で大型自動車二輪の免許を取りました。夫婦揃って愛車はハーレーダビッドソンだったそうです。
ちなみに、高知さんは2007年公開の映画『オーバーヒート 輝きの先に』に出演した際、ハーレーダビッドソンに乗ったシーンを見せています。
CMに出演
2006年、高島さんは、大鵬薬品の「チオビタドリンク」のCM「ツーリング編」にバイクに乗って出演しました。
「妻は元気だ。夫はどうだー」という決め台詞が話題となりました。
映画に出演
2003年公開の映画『釣りバカ日誌14 お遍路大パニック!』で、メインゲストでトラック運転手として出演しました。
本作品で乗っていたバイクは、SUZUKIの250ccのバイク『グラストラッカー』と言われます。
フリーペパーでインタビュー
2007年頃、フリーペーパー『ahead』で、バイクについてのインタビューを受けました。
イタリアのオートバイメーカー『DUCATI(ドゥカティ)』の『ハイパーモタード』に少し乗車したそうです。
これには読者から「ヤバイくらい カッコイイ」という意見が。
警視庁のポスターに白バイと
2008年、東京ビッグサイトで開催された『東京モーターサイクルショー』に高島さんがスペシャルゲストで登場しました。そのショーの中の「警視庁交通安全教育ステージ」で、白バイ隊の制服姿で、「グッドライダー宣言!」をテーマにしたトークショーをしました。
警視庁では、「グッドライダー宣言! 主役はあなたです」という啓発ポスターでライダーにプロテクター着用を呼びかけました。そのポスターにも高島さんが白バイ隊の制服を着て写り、中高年のバイクユーザの話題となりました。
バラエティ番組に出演
2021年6月12日放送のテレビ番組『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』にゲスト出演しました。
もともと高島さんは同番組のファンだと言い、出川さんと別の仕事で共演した際に直接出演を交渉したんだそうです。
番組では、瀬戸内海の小豆島から直島を目指しました。
高島さんは「YABAIYO!」と書かれた白のパーカーとスイカ模様のヘルメットを被り、(原付きの)バイクに乗るのは約30年ぶりだと言い「この番組に出てるなんてうそみたい」とニッコリしていました。
もともと車好き
高島さんと車の関係について紹介します。
もともと車好きなのが始まりです。
16歳で原付免許を取得しました。実家は最寄り駅までバスに乗らなければいけない場所にあり、スクーターで自由にどこにでも行けるようになって嬉しかったと言います。
自立したいという思いから高校時代にガソリンスタンドでアルバイトをしました。当時、ガソリンスタンドで働く女子高生は珍しかったかもしれません。店長に驚かれたかもしれませんが、面接に母親がついてきたことで信頼してもらえたようです。
18歳になると同時に普通自動車免許を取得しました。誕生日から逆算して高校3年生になってすぐに教習所に通い始めたのです。
誕生日プレゼントに母親が20万円の中古車を買ってくれたといいます。日産のスカイラインに憧れていましたが、最初の車は「小さなスカイライン」と呼ばれた日産の「ラングレー」でした。
家に個室がなかったため車の中が自分だけの場所となりました。
たこ焼きを買うだけのために、横浜から大阪までよくドライブしたそうです。車の運転が純粋に好きなことがわかります。
父親が厳しくテレビを見せてくれませんでしたが、「歴史の勉強にもなる」ということで例外的にテレビドラマ『暴れん坊将軍』『水戸黄門』をよく見ていました。
そのためか、歌番組やバラエティ番組の話題が中心の学校では、友達との話題の中にも積極的には入っていきませんでした。同時に、内向的で自己主張しないタイプだったので、強くて自立している女性に憧れていた部分がありました。
「元ヤン」などと一部から言われるようですが、全然違ったのですね。
レーシングドライバーとして活動
高校(神奈川県立野庭高等学校)卒業後に、いっそう乗り物にのめり込みました。
横浜市内の自動車関連会社(日産出資100%の子会社)に就職し、総務部総務課で車とほぼ関わりのない部署でしたが、3年間OLとして働きました。
それと同時にアマチュアレーサーとして活動します。21歳でJAF(日本自動車連盟)の国内競技運転者許可証A(国内Aライセンス)を取得しました。
「なんかかっこよかった」と言います。内向的な性格も変わっていったとも。
『富士フレッシュマンレース』ではスピードが230km/hは出ていたそうです。
レーシングドライバーとしてカーレースに出場しましたが、下積みの方が長くレースは2回くらいしか出れませんでした。
レースは集団芸術
レースは1人ではできなく、演劇と同じで集団芸術みたいなもので、みんなで力を合わせてやるものという意識がありました。
ギブアンドテイクで、自分が活躍するためにはまず自分が手伝い、自分が活躍するときのために相手に手伝ってもらうためにはどうしたらよいかを考えると言います。
先の先まで考えなければならなく、レースを走っているときも、コーナーと減速と加速、前にいる車をどう追い抜こうかなど、きっかけに対する行動を常に想定しておくのだそうです。
貧乏で三原じゅん子に憧れた
レースに夢中になればなるほどお金が出ていく一方で、「世の中が好景気に沸き上がったバブル時代が、いちばん貧乏だったかもしれません」と言います。
最初、スポンサーがついていないた、めすべて自分で費用を払わなければなりませんでした。車はレンタルで、一般公道で走れないため、それを運ぶためのトラックとさらにスタッフが必要で、車の組み立てやメンテナンス費もかかり、走行会に出るレンタル費用やガソリン代もかかりました。
同い年の当時、女優・政治家でレーシングドラーバーだった三原じゅん子さんがスポンサーを付けて華やかで、芸能人は違うなと憧れを持っていたとも。
レース資金捻出のためレースクィーン
「とってもお金がかかる」ということで、カーレースの雑誌社から、「お金がないのであれば一般公募でレースのキャンペーンガールを募集している」という話を聞きました。それが縁となり、1987年からOLを辞めて、レースクイーンのバイトを始めました。「なんか可愛かった」と思えたようです。
日本専売公社(1985年に民営化され日本たばこ産業株式会社JT)で、肌を露出することは考えていなく、ホットパンツ、Tシャツ、ブルゾン、スニーカーであり、ハイレグや水着を着て人前に出ることはありませんでした。
ちなみに、身長が168cmありスタイルの良さがわかります。日本女性の平均身長は158cmほど。
レースに限界を感じ女優へ
その後、モデルとしての誘いがあり、モデル事務所に所属しました。1988年、女性のための転職雑誌『とらばーゆ』(リクルート)のCMでデビュー。モデルとしては1年くらいの活躍でした。
「レースではどんなに頑張っても男性の腕力や気力、オタク度に勝てず、限界を感じていて。この先、どうやって生きていこうと考えていたところでした」と後に語っています。
そんなとき、このCMを見ていた俳優の松平健さんの紹介によってテレビドラマ『暴れん坊将軍III』に出演しました。
「厳格な父も本来なら芸能界入りに反対したのでしょうが、声をかけてくださったのが、あの“暴れん坊将軍”ですから。拍子抜けするほど賛成してくれました(笑)」と後に語っています。
1989年の25歳で本格的に女優デビューを果たしました。
レース関連の映画として、1991年公開の『首都高速トライアル3』に出演しました。首都高速道路を舞台とした走り屋を題材にした映画シリーズです。役どころは雑誌記者で、現役レースメカニックが首都高で起こした死亡事故を雑誌で公表してしまうことや、妹が交通事故で他界しているという設定となります。
1993年公開の萩庭貞明監督の映画『さまよえる脳髄』で降板した主演女優の代役に抜擢され、大胆なヌードも披露して一躍注目を集めました。
その後、女優業の活動を広げていきました。
ドライブソングはユーミン
ドライブ中、よく聞いていたのが「ユーミン」ことシンガーソングライターの松任谷由実さんの楽曲でした。
20201年初めの舞台でも、ユーミンの新曲『ノートルダム』を歌ったくらいです。
いちばん心に残っているのは1984年の『NO SIDE』で、今でもカラオケで歌うのはこの頃の曲が中心と言います。
愛車遍歴
高島さんの愛車を見ていきます。公表されているだけでもカーマニアをうなずかせるものばかりとなります。
- 日産・ラングレー(初代N10型系):母親からの18歳の誕生日プレゼント、中古車で20万円
- トヨタ・チェイサー(2代目X60型系・1.8Lエンジン):20歳で入手、母親が購入
- トヨタ・チェイサー(3代目X70型系・2.0Lエンジン):22歳で初めて自身で購入したとされる
- アウディ・80(3代目B3型):25歳で購入、故障が多くあったのと仕事で長期間京都に滞在していたためほとんど乗車しなかった
- BMW・3シリーズ(3代目E36型):28歳で購入、3年間で走行距離10万km超えと多く乗った
- メルセデスベンツ・Eクラス E320(初代W124型):30歳で購入、30歳になったらとにかくベンツと思っていたそう、左ハンドル
- メルセデスベンツ・Sクラス(4代目W220型):35歳の頃、元夫・高知東生さんの義父からの申し出でE320と交換
- メルセデスAMG・Sクラス S55(4代目W220型):40歳で購入、義父と共用
- メルセデスベンツ・Gクラス G550 ロング(463型、ゲレンデヴァーゲン):45歳で購入、高知さんと共用、きっかけはお笑いタレント・明石家さんまさんが乗っていたのに憧れて
- メルセデスAMG・Gクラス G63(463型、ゲレンデヴァーゲン):49歳のとき購入、外が黒で内が白の装色、2000万円以上の価格で無理して購入したと言います
そのほか、上でも見たように、『ハーレーダビッドソン』のオートバイ「FLSTS ヘリテイジスプリンガー」も所有していると言われます。
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