高橋一生 弟が4人、三男のミュージシャン・安部勇磨と似てない

有名人

俳優の高橋一生さんは5人兄弟の長男で、父親の違う弟が4人います。

母親が3回結婚し、実父と義父をあわせて3人の父親がいる比較的複雑な家族構成です。

三男のミュージシャン・安部勇磨さんは高橋一生さんと映画で共演することも。

夢が料理人の五男に寿司屋の修業の場を紹介する弟思いな高橋一生さん。

詳しく見ていきましょう。

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母親が同じで父親の違う弟が4人

2017年1月20日放送のテレビ番組『A-Studio』にゲスト出演した高橋一生さんは母親が同じで父親の違う弟が4人いることを明かしました。高橋一生さんは5人兄弟の長男となります。

  • 長男:1980年12月9日生まれ、高橋一生さん本人
  • 次男:(生年月日不明)、デザイン系の仕事
  • 三男:1990年9月3日生まれ、ミュージシャンの安部勇磨
  • 四男:1998年頃の生まれ、(職業不明)
  • 五男:2000年頃の生まれ、寿司職人の見習い(2017年当時)

母親は3回結婚しています。長男、次男と三男、四男と五男と父親が3人違います。

高橋一生さんは5歳のときに実父を亡くしています。一時期叔母に育てられ離れて暮らしていたため義父の記憶は薄いのだとか。

四男と五男が小さい頃、自分の子供のように面倒を見ていたそうです。オムツ替えがものすごいスピードでできるようになったと明かしていました。まさに父親のようですね。

五男は一緒に暮らす四男のご飯を作っているそうです。料理人になる夢を持っていて、それを聞かされていた高橋一生さんは知り合いの寿司屋を紹介したところ、五男はそれを受け入れ寿司職人の見習いなんだとか。

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三男はミュージシャンの安部勇磨

出典:TOWER RECORDS ONLINE

三男の安部勇磨(あべゆうま)さんは4人組のロックバンド『never young beach』(通称:ネバヤン)のメンバーとしてボーカルとギターを担当しています。併せて楽曲の大部分を安倍さんが担当しています。

兄弟であるにも関わらず安部さんと高橋一生さんは一部から似ていないと言われます。父親が異なることもあり名字も違いますね。

同バンドについて、楽曲『YASHINOKI HOUSE』が2015年上半期に『fam fam』が2016年上半期にそれぞれ『CDショップ大賞』にノミネートしました。それからYouTubeの公式チャンネルに2016年5月26日公開された『明るい未来』は895万以上の再生回数を記録(2021年7月現在)しています。

さらに、同バンドは高橋一生さんが主演を務めた2021年1月公開の映画『ロマンスドール』で主題歌と劇中歌を担当しました。その両曲の作曲と主題歌の歌詞を安倍さんが担当。つまり、この映画で兄弟が共演したことになりますね。

前出のテレビ番組のMCを務める笑福亭鶴瓶さんは、安部さんのことを「本当に面白いやつだった!」と語り、安倍さんが作った曲を絶賛していました。同時に高橋一生さんも「本当にいい曲を作るんですよ」とべた褒め。

高橋一生さんはロックバンド『エレファントカシマシ』が好きで「俺たちの明日」をカバーしたことがあります。その影響で安倍さんも『エレファントカシマシ』を聞くようになったそうです。

高橋一生さんは安倍さんに、インディーズではなくプロの世界で勝負するよう助言したことがあるそうです。「別に売れなくてもいいんだって言ってる人たちって、どっちかっていうと、もう批評家っぽくなってくるんですね。やっぱり評価される側にいないと。何言われても、(評価される側に)いないとだめだよって」という意図も付け加えていました。

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『しゅうしゅう(高橋一生の弟)』とは

出典:ウェブサイト『WEAR』

ちなみに、株式会社ZOZOが運営するファッションコーディネートサイト『WEAR』に「しゅうしゅう(高橋一生の弟)」(@shuu051014)というアカウントがあります。

高橋一生さんに弟が4人いるため、どの弟だろうかと思いを巡らせてしまう人もいるのではないでしょうか。

しかし、後に同アカウントのユーザはネタでつけた名前であることを明かし、高橋一生さんの弟でないことがわかりました。このアカウント名をつけたきっかけは、高橋一生さんに顔が似てると周りの人から言われたことだったそうです。

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母親の最期に「弟は何とかするから」

母親は2015年にガンで亡くなっています。当時53歳。

1962年頃の生まれで、18歳のときに高橋一生さんを生みます。合計3回結婚するとともに5人の息子を生みました。

チャレンジ精神旺盛な起業家だったようです。3~4年働きお金をため起業するも半年ほどで失敗というサイクルを繰り返していたそうです。その都度、引っ越しもしていたとか。

もともとお嬢様育ちだったようで生活の質を下げたくなく都内での生活を続けていました。浪費癖があり経済的に厳しく、同級生にお金を借りてきてほしいと高橋一生さんに頼んだことがあるそうです。また、安倍さんのギターや高橋一生さんの車など子どもたちの物まで勝手に売ってお金にしていたそうです。

このため、高橋一生さんは母親と不仲になり10年ほど連絡を取らなかったそうです。

ある日、母親がガンだという連絡を三男から受けた高橋一生さん。「いま会ってしまうと、また口げんかになる可能性があるから、変な話ですけど弱ってから会わしてくれと。そうすればお互い怒りも出てこないだろうって」と前出のテレビ番組で当時の考えを説明。

母親が亡くなる1週間ほど前に面会し、最期も看取ることができたといいます。面会した際、やせ細った母親から「ごめんね、今まで」と言われ、「もう大丈夫、弟は何とかするから。ゆっくり休んで」と、10年ぶりに再会し和解できたそうです。

生前に母親から「大した顔してないから、近所の兄ちゃんの役を」と再三言われていたそうで高橋一生さんは「よく言われました。隣のあんちゃん目指しなさい、あんたなんかって」と振り返っていました。

母親が亡くなった後、高橋一生さんは、年の離れた弟たちに家計簿をつけさせたそうです。「若い頃っていうのは、ある抑圧をかけないといけない。ちゃんと規律的なことをやってからの自由っていうのが一番美しい。規律みたいなものをしっかり持っていてもらいたい」と述べ兄の顔を見せていました。

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