女優でモデルの桐谷美玲(きりたにみれい)さんの学歴について見ていきます。
出身は千葉県ですが、父親の仕事の都合で、一時的に小学校5年生から中学校2年生まで大阪府で過ごしました。これをきっかけに暗い性格が明るくなりました。
自らを「ガリ勉」と称し、高校は偏差値70以上の進学校に難関校に入学。
高校1年生のときに、芸能事務所からスカウトされモデル、女優の仕事を始めました。
大学は、仕事が忙しく、休学2年と留年1年を挟み、7年間通い卒業することができました。いまでも親交のある友達とテレビに共演することも。
学歴をまとめると次のとおりです。
- 1993年4月~1996年3月、千葉県の幼稚園
- 1996年4月~2000年3月、市原市立国分寺台小学校(千葉県)
- 2000年4月~2002年3月、高槻市立芥川小学校(大阪府)
- 2002年4月~2003年3月、高槻市立第二中学校(大阪府)
- 2003年4月~2005年3月、市原市立国分台中学校(千葉県)
- 2005年4月~2008年3月、千葉県立千葉東高等学校
- 2008年4月~20015年3月、フェリス女学院大学
それでは詳しく見ていきましょう。
生まれ
桐谷さんは、1989年12月16日生まれ、千葉県市原市出身です。
家族に父、母、弟がいます。
家族ぐるみでプロサッカークラブ『ジェフユナイテッド市原・千葉』を応援しています。桐谷さんはブログの内容やユニフォームを着て応援することなどから筋金入りのジェフファンであることがわかります。
父が福岡県出身のため、幼い頃は年末年始などに、父の実家である福岡の祖父母宅に帰省していました。
母は北海道出身で薬剤師です。
両親は躾に厳しかったと言います。お箸の持ち方が悪いと怒られ、椅子の座り方が悪いと足をたたかれるなど。「礼儀はどんなときも一番大切なこと」「それができない人は何もできない人よ」と言われ続けてきました。後に両親のありがたさが身に染みると明かしています。
幼稚時代
1993年4月~1996年3月の期間、千葉県の幼稚園に通っていました。
どの幼稚園に通っていたかは明かされていませんが公立だとすると小学校の通学区域から次の候補があがります。
- 国分寺台幼稚園
- 市原市立惣社(そうしゃ)幼稚園
ファッション雑誌『WWDJAPAN』によると、幼稚園時代に初恋を経験していたそうです。今は相手の顔も名前も覚えていないとのこと。
小学時代・中学時代
父親の転勤で、小学校5年生から中学校2年生まで大阪府高槻市に住んでいいました。上でも示しましたが、再度次にまとめます。
- 1996年4月~2000年3月、市原市立国分寺台小学校(千葉県)
- 2000年4月~2002年3月、高槻市立芥川小学校(大阪府)
- 2002年4月~2003年3月、高槻市立第二中学校(大阪府)
- 2003年4月~2005年3月、市原市立国分台中学校(千葉県)
千葉で暮らしている頃は暗い性格でした。小さい頃はとても人見知りするタイプで、人と話すのが苦手だったといいます。登校中に電信柱にしがみつき、それを母親に引き剥がされ学校へ連れて行かされたという目撃談もあると言われます。
大阪での3年間でキャラが開花しました。大阪へ引っ越した期間で一気に明るくなったため、再び千葉に戻った際に周囲に驚かれたと語っています。
もともと内弁慶で、いまのように人前で変顔をするようなキャラクターではありませんでした。「大阪の空気が合っていたんだと思う。大阪の人ってグイグイ来るじゃないですか。おかげで、内にあった弁慶が外に出た」と言います。
ウェブサイト『スポニチ』(2016年1月19日掲載)のインタビューによると、大阪を離れて10年以上経つが今でもその友人たちと話すと大阪弁が出るのだそうです。
小学生でピアノを習い始め、芸能活動を始める高校1年生まで続けました。今では特技としてピアノをあげています。
将来、保育士か薬剤師になりたいと思っていました。保育士については、幼稚園で引っ込み思案の自分に先生が優しくしてくれたためその先生のようになりたいと思ったそうです。薬剤師については、薬剤師の母親の影響で、白衣を着て医者のようにかっこいいと思ったのだそうです。
学業では学校で1位、2位を競うほど勉強ができました。中学生の頃から「ガリ勉」だったと、後に自らを振り返っていました。
中学時代はバトミントン部に所属していました。好きなスポーツもバドミントンと言います。
「セーラームーン」が好きでなりきって遊んでいました。弟がいたため、戦隊モノも見ていました。後の2014年6月公開の特撮コメディー映画『女子ーズ』でレッド役を演じた際、「レッドをできることなんて、たぶんもう二度とないので、嬉しかったですね」とコメントしていました。
子供の頃から現在までポケットモンスターで遊んでいます。任天堂のゲームソフト『マリオvs.ドンキーコング 突撃!ミニランド』のCM撮影時に任天堂のスタッフに自身が遊んでいる『ポケットモンスター ホワイト』(弟は『ポケットモンスター ブラック』)のことで三つ聞きたいことがあると質問をし、その質問内容が専門的だったため、特別企画で女子大生が訊く『ポケットモンスターブラック・ホワイト』が実現し同社のホームページに掲載されました。
高校時代
2005年4月~2008年3月の期間、千葉県立千葉東高等学校・普通科に通っていました。
偏差値71の難関高校です(ウェブサイト『みんなの高校情報』、2021年9月時点)。2021年の進学実績が、合格者数として、東京大学5名、京都大学3名、慶應義塾大学43名、早稲田大学78名、など卒業生数358名に対し難関大学への合格率が高いと言えます。
一般入試で合格したことも含めると桐谷さんは学力が高いと言えます。
同校の先輩にタレントの小島瑠璃子さんがいます。4歳差のため在籍期間は重なっていません。
2005年、高校1年生の時に「千葉のナンバーワン美少女」としてスカウトされ、2006年2月公開の映画『春の居場所』でデビューしました。
一般的にスカウトは街で声をかけることです。しかし、桐谷さんの場合、人伝えで美少女がいることを知った事務所の担当者から電話でスカウトされました。桐谷さんは「こわい電話がかかってきた」と後にその時の心情を明かしていました。
普通に就職するものと思っていたとして1度は断ったものの、事務所から女優の内山理名さんの撮影を見学する話を持ちかけられ、桐谷さんは母親と見学しに行きました。内山さんがキラキラと輝いて見えたため「自分にもチャンスがあるならやってみたい」と思い、父親に相談したところ「勉強をおろそかにせず、高校も卒業する」という約束の上で「まずは1年だけ」ということで芸能界入りを決意しました。大学へ進学しても父親と交わした約束を大切にしました。
芸名「桐谷美玲」で活動を開始しました。本名の「松岡さや紗(さやさ)」で活動する希望だったのですが、事務所スタッフが「松岡」に懸念があり、当時放送されていた歌手の亀梨和也さんが主演のテレビドラマ『野ブタを。プロデュース』の役名・桐谷修二から名字を取り、響きの良い「桐谷美玲」に決まりました。
女子中学生・高校生向けファッション雑誌『Seventeen』(集英社)第16号(同年4月号)より同誌専属モデルになりました。
同社によるウェブサイト『s-woman.net』(2011年9月24日掲載)によると教科の好き嫌いをあげていました。
- 好きな教科:国語、英語
- 苦手な教科:数学、化学、中国語
高校時代は途中までラグビー部のマネージャーを務めていました。
中学のときにやっていたバトミントン部が高校にはなく、なんとなく見学したラグビー部のマネージャーの先輩たちが面白くて、それでラグビー部を選んだそうです。
バレンタインには、部員全員にあげるため(チョコを)40個くらい手作りしなければいけなかったとして他のマネージャー合わせて7人で前日に徹夜していたことを明かしています。その他、夏合宿では1度の食事に100人前を保護者と協力して用意したり、3年生の最後の大会前にミサンガを作って部員に渡したりしました。
芸能界入りした後は仕事のほうが忙しくなり、マネージャーを途中でやめてしまいました。しかし、その経験が、ラグビーワールドカップ日本大会が開催された2019年に集英社が発行しているスポーツ雑誌『Sportiva』が実施する「桐谷美玲のやさしすぎるラグビー講座」を動画で連載しました。
2006年、俳優の瀬戸康史さんとのプリクラ写真が出回りました。彼氏ではないかと噂になりました。これにはわけがあり、Seventeenの企画で2人がデートしたときのプリクラ撮影で、その写真が独り歩きしてしまったのでした。
高校時代はモテなかったと言います。一部からは、彼氏はいなかったや、1学年上のラグビー部員と交際していたなどと言われます。当時の好きな男のコのタイプは、「ずっと好きでいてくれる人」「年上でタレ目のかわいい人だといいな」と言います。
細身の体型にも関わらず、早弁したり、購買部でパンを買ったり、放課後にクレープやハンバーガーなどを食べたりしていたそうです。ちなみに好きな食べ物はからあげで、嫌いな食べ物はパサパサした卵、しめじとのこと。
大学時代
2008年4月~20015年3月の期間、フェリス女学院文学部コミュニケーション学科で学びました。
「お嬢様学校」として有名です。
同学科の偏差値は47.5です(ウェブサイト『みんなの大学情報』、2021年9月時点)。
桐谷さんが通っていた高校の偏差値を考えると世間から「なぜフェリスってなる?」「ブランド力半端ないから敢えてフェリスか?」「ランクを下げたんだなって印象が強い」という意見があります。
桐谷さんが文学部コミュニケーション学科を選んだ理由は仕事のプラスになればと考えたことでした。メディア論、言語学、心理学などを学びました。
同校には緑園キャンパス(文学部、国際交流学部、音楽学部1・2年次)と山手キャンパス(音楽学部3・4年次)があり、前者に通っていました。
キャンパスはどちらも神奈川県横浜市にあり実家の千葉県市原市からだと電車で片道2時間半かかります。どのように通っていたかは定かではないのですが、東京・港区にある事務所の寮からという意見があります。あるトーク番組で「必須科目の授業のみ授業始まる直前に車で行って終わるとまた車で即事務所に戻るからとっても忙しい」というようなことを言っていました。
大学に進学するときも、芸能界で仕事をすると同時に勉強をおろそかにしない、という父親との約束を守っています。
テストが近くなると事務所に無理を言ってスケジュール調整してもらいました。
少しでも時間が空けば1時限だけでも出席しました。
在学中のインタビューで大学生活について次のとおり明かしていました。
「もう、そのまんまですよ。本当に仲いい友達とご飯食べて、講義受けながら途中で居眠りしてしまったり…。他愛のないおしゃべりをして楽しんだり、通信ゲームして楽しんだり。あと学校帰りにみんなでご飯食べに行ったりとか、プリクラを撮りに行ったり、カラオケ行ったりとか。普通に大学生活を楽しんでいます」
大学時代は、高校時代以上に芸能活動が多忙でした。そのため、本来卒業予定だった2012年3月に卒業することはできませんでした。
7年かけて2015年3月に大学を卒業しました。どうやら3年通い、2年の休学と1年の留年を経て、復学し1年通ったという内訳のようです。
同校は出席日数に厳しいことや、仕事が忙しい時期の睡眠時間は3時間だったことなどから、この休学と留年は仕方がなかったのでしょう。
2015年3月20日、ブログで、卒業したことを報告し、「人より長い時間がかかってしまいましたが、その分多くの出会いがあったし、いい経験ができたと思っています」と学生生活を振り返っていました。同年度に復学し、「久しぶりにお仕事と学校の両立でなんだか懐かしく、楽しく、時に苦しく。。笑」と綴り、「でもね、(復学)したからにはどうしても卒業したかったんだ。もう最後は意地です。笑」と心境を述べていました。
さらに、仕事をしているだけではわからないことを知れたとも。「大量のレポートにもへこたれない体力がついた。この先ずっと付き合っていくだろうなっていう友達ができた。なにより普通の女の子としての時間が楽しかった」
最後に、「途中で諦めないで本当によかったです。18歳だった私、あんなに若かった私、セブンティーンモデルだった私、気づいたら25歳だ。笑 4月からようやく社会人1年生だ。がんばろ」と結びました。
それから、同期の友達やゼミの先生が、桐谷さんのために卒業パーティーを開いてくれたようです。周囲から好かれていたことがわかりますね。
2017年12月20日放送のテレビ番組『今夜くらべてみました』にゲスト出演し、スタジオに「大学1年生の時に出会って、今でもしょっちゅう会ってます」という大学時代からの親友4人が登場しました。「(芸名なので)本名でいられる時間が大好きで、この人達と一緒にいるときは本当に素でいます」と言い、親友からは「しっかり者なんですけどフニャっとしてる」「とにかく毛とか生えてなさそうなキレイめなカワイイ男性が好き」と暴露され、桐谷さんは「言ったらダメだよ!恥ずかしいやつだから…」と赤面していました。
さらに、「モーニング娘。」の「シャボン玉」の曲中にあるセリフが上手だという話が親友からあり、そのセリフを完璧に披露する桐谷さんに出演者が大興奮していました。
2020年5月23日、桐谷さんはインスタライブで、「この仕事一本でやっていく自信がなく大学へ行った」「結果大学に行って良かった。楽しかった」と振り返っていました。
ニュース番組でキャスターを務める才女
2012年4月のキャスター初挑戦から2018年9月25日まで6年半にわたって『NEWS ZERO』(日本テレビ)の火曜日キャスターを務めました。
千葉有数の進学校からフェリス女学院に入学した才女としてもてはやされました。
出演が決まった際に桐谷さんは「今からすごく緊張していますが、自分の新しい一面をみせていく良い機会。精一杯頑張りたいです」と気合が入っていました。
同番組のプロデューサーは、2011年8月、ファッション誌『Seventeen』専属モデルの卒業イベントで、桐谷さんがスピーチをするのを見て、「自分の言葉をきちんと持っている」とピンと来たと言います。「おっとりとした外見とは違い、過去にラグビー部のマネージャーをしていたり、剣道部の部室の匂いが好きだったりと体育会の要素も持っている」と期待を寄せたのでした。
スタジオでのコメントに加えて冠コーナー「桐谷美玲 my generation」を担当し、同年代の若者の間で話題になっている物事、活躍している人などさまざまなテーマを自ら現場取材しリポート。さらに、落ち着きのあるレポートや飾らないコメントが、「知的な女子大生」のイメージが高まりました。それでいて、「ゆるカワ」な雰囲気で、男女問わず「可愛くて知的」「女子大生」として人気が広がりました。
桐谷さんは、6年半務めた番組を卒業する際、取材現場で刺激を受け財産となったと回想し、「若い世代とニュースの架け橋になれればと思って始めて、この6年半で少しでもその役割を担えていたらうれしいです」と挨拶しました。
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