華原朋美は小室哲哉と出会い交際2年で破局、FNSで再会し現在は

有名人

歌手の華原朋美さんの元彼氏で音楽プロデューサーの小室哲哉さんとの出会いから別れ、現在の関係について見ていきます。

交際期間は2年ほどだったにもかかわらず、随分長いこと付き合っていたように感じらるのではないでしょうか。

それは、華原さんが小室さんプロデュースによりシンデレラストーリーを歩んだこと、さらに破局後もメディアで度々2人の関係が取り沙汰されるなどのことからで、それだけ関係の深さを物語っていると言えます。

破局後に歌番組で共演したことがあります。

そして現在、華原さんは小室さんとの関係に関して未練はないといいます。

それでは詳しく見ていきましょう。

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馴れ初め

華原朋美さんは初めて買ったレコードが女優の中山美穂さんの楽曲『50/50』で偶然にもその曲は小室さんの作曲でした。「小室哲哉」という人はすごいと思っていたことを明かしています。

華原朋美さんは歌手デビュー前に「遠峯ありさ」の芸名でモデル・タレントとして活動していました。当時、歌手というよりは女優志望でした。

1994年10月から放送開始のテレビ番組『天使のU・B・U・G』にレギュラー出演していた華原さんは、それを見た小室さんから見初められました。

そして小室さんは「レコーディングしているからおいで」と華原さんの自宅に電話し、自身が経営していた東京・青山の店『TJM』(tetsuya komuro jungle massive)に華原さんを呼び、2人は初対面しました。

出会って間もない頃に、華原さんはカラオケでTRFの楽曲『EZ DO DANCE』を歌い、その歌声を聞いた小室さんは「涙腺を刺激する歌声」と評し、続けて「君を歌手として育てたい」といい、華原さんの歌手デビューが決定しました。華原さんとしては「泣かしちゃった」と後ろめたい気持ちがあったとか。

出会ってから1,2週間ほどで2人の交際が始まり同棲する関係になり、急接近したことがわかります。

そして、小室さんのプロデュースにより華原さんは歌手として成功を収めました。

当時世間からは、枕営業を疑われるなどの批判の声も少なくありませんでした。それに対して小室さんは2人の関係を「アーティストに手を付けたのではなく、恋人に曲をかいてデビューさせただけ」と釈明しました。

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小室哲哉を魅せた歌声

小室さんは華原さんの歌声について「倍音を沢山含んだ豊かな響きを持つ声。滅多にいない声で、その声で生まれて良かったと思って欲しい」「上手い下手以前に、愛情や優しさといった、より広い世界観を声で表現できる」などと評価しています。

さらに、華原さんの歌手活動につてい「通常のアーティストなら3年かける部分を1年に凝縮したような育て方をしてきた。彼女がよくやってくれた」と褒めるとともに、小室さん自身にとってもミリオンヒットとなったシングル『I’m proud』やダブルミリオンとなったアルバム『LOVE BRACE』のような作品を制作できたことは奇跡だったといいます。

小室さんは華原さんの印象について、「僕が誰だかなんて全く関係なくて、口の利き方・態度も悪く最初はよく喧嘩しました。そこが逆に新鮮で彼女の視点では僕は年相応のおじさん」「初めて自分のプライベートをネタにしようと思えた」と明かしていました。

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芸名の変更

1995年6月に華原さんは事務所を移籍し、小室哲哉さんのイニシャルと同じ「T.K」でかつ本名「下河原朋美」に近い「華原朋美」に改名しました。ちなみに「僕と君は心のユニット」という小室さんの意向がありました。

当初のローマ字表記は「Kahala」でしたが後の2004年に「Kahara」に変更しています。

小室さんが立ち上げた新レーベル『ORUMOK RECORDS』の第1段アーティストとして華原さんはシングル『keep yourself alive』で歌手デビューしました。

このレーベルの名前「ORUMOK」は、逆から読めば「KOMURO(小室)」となっています。

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交際期間2年で破局

華原朋美さんと小室哲哉さんとの交際は約2年続き、1998年12月頃に別れたと言われます。しかしその別れ方は、別れ話がなく自然消滅といったところでしょう。

具体的には、次のように華原さんの嫉妬による喧嘩と双方の浮気とされます。

小室さんは音楽プロデューサーとして1994年から1997年に渡り、俗に「小室ファミリー」と呼ばれるアーティストらをプロデュースしていました。そのメンバーとしては華原さんを含め、TRF、観月ありささん、内田有紀さん、篠原涼子さん、安室奈美恵さん、globe、hitomiさんなど20ほどです。

その中で、華原さんは1位を逃すなどの曲が売れない状態になったら「小室哲哉の彼女」という立場はどうなるのだろうという不安があったと言われます。

さらに華原さんは小室さんに依存していた部分がありかまってほしくて仕方がありませんでした。一方で小室さんは仕事が忙しく、華原さんだけを相手することはできなく、そのことで2人はよく揉めていました。

そんなときに、小室哲哉さんはdosのAsamiさんと、華原さんは俳優の小橋賢児さんと浮気があったと言われます。華原さんとしては、小室さんに浮気されてその寂しさから自身も小室さんと同棲していた自宅に小橋さんを連れ込んで浮気したとも。一方で、小室さんは後にAsamiさんとできちゃった結婚するも1年経たずに離婚し、globeのKEIKOさんと再婚・離婚。

ついに、華原さんと小室さんの交際は破局を迎えました。

華原さんは「勝手に終わりました。別れ話とかしてない。急に空気が変わって、マネージャーさんもいなくなって」と当時を振り返っていました。

さらに、レコーディングのためアメリカ・ロサンゼルスに向かったものの、小室さんからの連絡はなく小室さんと会うことはありませんでした。

2人で同棲していたマンションにも小室さんが帰ってくる事はありませんでした。さらに、小室さんの携帯電話の番号が変えられていて、別れ話もできなかったといいます。

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小室哲哉プロデュース最後の曲

小室プロデュースで華原さんの最後の曲は、13枚目のシングル『daily news』(1998年10月21日リリース)でした。

小室さんによる作詞・作曲で、小室さん自身が同年夏に海に行ったことから生まれた曲で、不景気な世の中を明るくしようというコンセプトの楽曲となっています。

PVはイラストで描かれた街並みをバックに華原さんが出演するシンプルな映像でショートサイズで制作されましたが、商品化はされていません。

1998年放送のテレビ番組『第49回NHK紅白歌合戦』で華原さんは同曲を披露しましたが、小室さんのバック演奏はありませんでした。

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失恋から薬物依存へ

華原さんは小室さんとの破局を原因に精神的に病んでしまいました。激太りしたり、精神安定剤をお菓子のラムネを食べるようにボリボリと貪ったり。具体的な経緯としては次のとおりです。

1999年1月30日、自宅で料理中にガス中毒で倒れ緊急入院しました。一時は意識不明の重体とメディアで報じられました。

同年5月に復帰会見を行いましたが、わずか1週間後に、自宅マンションのロビーで貧血で倒れ再入院してしまいました。

同年6月17日に、2度目の復帰会見を行いました。

当時24歳ながらにして、薬物依存による別人のような姿が連日のようにメディアに報じられ、世間に衝撃を与えました。

その後、歌手、女優、CM出演などの仕事をしていました。

しかし、2007年に気管支炎の影響で3度目の自宅療養を。

2008年に「年内には復帰したい」と語っていたものの、約半年後の2009年1月17日、JR錦糸町駅でタクシーに行き先が告げられず、急性薬物中毒で倒れ病院に緊急搬送されてしまいました。

2010年8月29日にも、新宿・歌舞伎町でタクシー乗車中に意識もうろうとなり、救急車で病院に搬送されることに。

以降、家族のサポートもあり徐々に回復に向かいました。

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熱愛エピソード

2015年にテレビ番組『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』にゲスト出演した華原朋美さんは、小室哲哉さんへのリベンジポルノと見られる行動を明かしたことがあります。

それは、小室さんと同棲中のことで、家で一緒に寝ていたところ、子供の声が聞こえてきて小室さんが目を開けるとベッドの周りを子どもたちに囲まれていたとのこと。起き上がった小室さんは「きみ達なにをやってるんだい?」と聞くと子供から「有名人がここに住んでいるから見に来た」と答え、小室さんは「ダメだよそんな事しちゃあ」と言いながら子供を外に出したというもの。

このエピソードを聞いた視聴者からは、フラれたことに対する仕返しなのではなどと華原さんは批判されました。

それにしても、このエピソードは、付き合っていた当時の話で、フラれた後に2人でベットで寝ているというのも時間の流れとしてはつじつまが合わないように思います。華原さんの作り話でしょうか。

出典:華原朋美とみられるTwitterアカウント(@3tJXtB6Dp8TFrmS)

さらに華原さんは、2013年12月にTwitterアカウント(@3tJXtB6Dp8TFrmS)を開設したと言われます。現在、鍵アカウントに設定されていて、プロフィール欄に「小室さん大好き(ハートマーク)」が書かれています。

もしこれが本当に華原さんのアカウントであれば、破局して10年以上経っても華原さんは小室さんに未練たらたらだったと考えられます。

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2013FNS歌謡祭で15年ぶりの共演

破局してからしばらく経ち、15年後の2013年12月4日に放送されたテレビ番組『FNS歌謡祭』で華原さんは小室さんと再会しました。

小室さんはグランドピアノを演奏し、華原さんはマイクを持って小室さん作曲の1stシングル『I’m proud』と2ndシングル『I BELIEVE』の2曲を歌い、共演しました。

歌い終わった直後に華原さんは小室さんの方をしっかり向いて、「小室さん、今まで迷惑と心配をかけてしまい本当にすみません。これからはちゃんと前を向いて歩いていけそうです。今日はすごく楽しかったです。ありがとうございました」と伝えました。そして2人は軽く握手を交わしました。

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現在は「未練はまったくございません」

現在、華原さんは小室さんとの関係に未練はないと言います(ラジオ番組『TOKYO SPEAKEASY』2021年4月21日放送より)。

交際から破局に至った当時について「その当時は仕事も大事でしたけど、もっと大事なものが小室哲哉さんだったので、彼が居なくなったことで、生きていけないどん底みたいな状態になって…」と回想しました。

続けて「さすがにもう20年以上経っている話なんで、未練はまったくございません」と現在の心境を打ち明けました。

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