北川景子 高校時代にモデルデビュー、大阪女学院からクラークへ転校

有名人

女優の北川景子さんの高校など学生時代について見ていきます。

幼少期から勉強の成績がトップクラスでした。

祖父が開業医という影響もあり、中学高校の時の夢は精神科医になることでした。

高校の時にスカウトをきっかけにモデルデビューを果たし、勉強と仕事を両立させました。

仕事上の都合もあり、高校のとき上京し、転校しています。

大学時代にアメリカに留学した経験もあり英語が得意です。

それでは学生時代のエピソードを時間を追って詳しく見ていきましょう。

スポンサーリンク

生い立ちから小学時代

小学時代

1986年8月22日生まれ。兵庫県神戸市の出身です。

1993年4月に『神戸市立筒井小学校』へ入学し、1999年3月に卒業しました。

1995年、小学2年生の時、阪神・淡路大震災で被災した経験があります。クラスメートの半分を失ってしまいました。命も家も家族も無事で、弟から「どうして助かったの?」と質問され「なんか仕事があるんやろう私らには」と答え、続けて「生かされたからにはなにかしなくてはならない」とも思ったのだそうです。そして、母親の実家である香川県に1年間だけ避難したことがあります。

幼少期から学校の成績は常にトップクラスだったそうです。

幼い頃から病弱だったため病院へ行く機会が多く、開業医の祖父の病院が大好きでした。モデルの仕事をするまでの中学・高校時代の夢は精神科医になることでした。医学部を目指すため勉強ばかりするようになります。

父親のことを「躾が厳しかった」言います。学校のテストで99点取ったところ「あと1点、どこに置き忘れてきたんだ?」と高いレベルを要求されました。一方で、父親のことを心から尊敬し、幼い時から敬語を使って接していたそうです。

風邪をよくひき学校を休むことが度々あったため、同級生からからかわれていました。

小学校卒業前の身長は132cmで、クラスの背の順は1番前でした。

習い事は、ピアノや水泳、書道で、10年間続けたそうです。

「右手で持つように」と両親に教わったお箸と鉛筆以外は、私生活のほとんどが左利き。

スポンサーリンク

中学時代

中学時代

中学受験し、1999年4月、中高一貫校の『大阪女学院中学校』に入学し、2002年3月に卒業しました。

同校は、女子校で偏差値が61の進学校。

キリスト教の教えを教育理念として設立し運営する私立学校(ミッションスクール)でありキリスト教主義学校で宗教色が強いとされます。教員は採用資格にもあるように、全員洗礼を受けたキリスト教徒です。

第一志望ではなかったそうです。それは実家から近くて通いやすい神戸市内の女子校を目指していたから。ちなみに、実家のあった「兵庫県神戸市中央区」から同校のある「大阪府大阪市中央区玉造」まで電車で片道1時間半ほどかかりました。この通学を高校2年生までの5年間続けました。

中学に上がり自分より勉強のデキる同級生が多くいたため「私には取り柄がない」とネガティブな思考に陥る時期もありました。

スポンサーリンク

高校時代

高校時代

高校は2つ通いました。3年生に上がるタイミングで転校しています。

まず、中学校からの内部進学で、2002年4月に『大阪女学院高等学校』の普通科の理系コースに進学しました。

同校は、女子校で偏差値が62~67とされ大阪県内では最難関高と言われます。

普通科と英語科が設置され、英語教育に力を入れています。スーパーイングリッシュランゲージハイスクール指定校 (SELHi、日本の高等学校における先進的な英語教育を研究するための文部科学省主導のプロジェクト)となります。普通科でも高校1年生の夏季休暇中に有志の海外研修があります。

当時、ルーズソックスが流行っていましたが、北川さんは勉強一筋だったため、既定のソックスを履いていました。また、真面目な性格だったことから化粧や眉毛の手入れもしていなかったそうです。

どちらかというと男性に近いスタイルだったためか、当時のニックネームは「アニキ」で、同級生の女子からモテて、しかもラブレターを何度かもらったそうです。中学3年生から高校1年生で一気に身長が伸び158cmになりました。一時期、ニックネームが「タケノコ」に変わりました。

2003年の高校2年生の時に、地元神戸でモデル事務所『ノイエ』(現、フランジ・モデルマネージメント)にスカウトされました。

最初は芸能界にあまり興味がありませんでした。しかし、部活もせずに予備校に通って大学受験のため勉強に集中しているのに成績が伸びず模試の点数や偏差値で全てを評価されるのはおかしい、と思い始めた矢先のスカウトでした。

気分転換にタレントのレッスンに通いたいことを親に相談したところ、「それで成績が伸びるのならいいよ」と許可されました。また、上でも述べた「私には取り柄がない」というネガティブな思考を払拭するため「環境が変われば自分の本当の道も開ける」と考え直し芸能界入りを決めました。

スカウトされたことに関して、兵庫県出身の立場として「テレビや映画のお仕事は、東京や都会の人がするものだと思っていた」と言い、続けて「私自身、普通の受験生の時にスカウトされて『芸能界って入ることができるんだ』って驚いたくらいで」と後に振り返っていました。

事務所に入って間もなく、2003年に女性向けファッション雑誌『Seventeen』専属モデルオーディション『ミスセブンティーン』に選ばれ、モデルデビューを果たしました。また、2003年10月放送開始の『美少女戦士セーラームーン』への出演が決まり上京しました。

進路について、「私にはこの仕事が向いているかもしれない」と思い、親に相談したところ、芸能界の仕事は浮き沈みが激しいことから「大学受験し、しっかり卒業する」という約束の上で、上京しました。そして通信制の高校に転校し、仕事をしながら大学探しをはじめました。(『大学新聞』第5号、2012年6月、女優 北川景子さん より)

特に父親からは「10代で自分の進みたい道ややりたいこと、将来の夢を見つけて、進んでいこうと思えたことはすごく素晴らしいことだと思うから、自分で決めたことを最後まで頑張りなさい」と言われ、この言葉は今でも大切にしているのだそうです。

結果として、2004年4月の3年生に上がるタイミングで『クラーク記念国際高等学校』へ転入し、2005年3月に卒業ました。所在地が北海道なのですが「東京キャンパス」に通信制で授業を受けました。

同校は芸能人の多くが通う『堀越学園高等学校』と肩を並べます。全日制だけでなく通信制も設けているため時間の融通がききやすく、さらに芸能コースのカリキュラムがあるため、芸能人が仕事をしながら学べると言われます。

出身者にファッションモデルの森泉さん、俳優の市原隼人さん、元AKBグループメンバーの指原莉乃さんなどがいます。

スポンサーリンク

大学時代

大学時代

2005年4月、AO入試(現名称は「総合型選抜」)にて『明治大学』商学部に入学し、2009年3月に卒業しました。

偏差値は62.5~65.0とされます。

専攻はアプライドエコノミクス(応用経済学のこと)でした。

AO入試だけでなく一般入試も視野に入れていたため、寝る時間を削ったり仕事の休憩時間を使ったりして勉強しました。受験勉強していた時期が一番睡眠時間が短かったとも。

明治大学を志望にした理由を次のように述べています。オープンキャンパス(入学を目指す高校生を対象にした行事)でいくつかの大学を訪れ「大学では勉強さえできればよいと思っていた。毎日おしゃれに気を使わず、地味な格好で通っても大丈夫そうでいいなと」いうことで明治大学を志望したのだそうです。商学部を選んだ理由は、数学が好きで数字を扱う学部だったことと、以前から興味があったマーケティングや広告の勉強をしたかったからと言います。実際、出演するCMではターゲットや企業の立場になりセリフや表現を工夫していると言います。

商学部には女子学生が少なく40人のクラスに女子は自身を含めて10人だったそうです。4年生までクラスは変わらず、その女子は結婚式にも全員来てくれ、今でも仲良し。卒業後も大学生活が終わった感じがしないんだそうです。

大学時代は2年生まで軽音楽サークルに所属しドラムを担当していました。

当時、成人の日を迎え、男性の好みは「メガネをかけた、知的でインテリっぽい人が好き」とインタビューで明かしていました。

同じ学部の1年先輩に歌手の山下智久さんがいて、学校で一緒にいることも多かったんだとか。

同級生に文学部で女優の井上真央さんがいます。大学の卒業式に受けたインタビューで、お互いに在学中、合コンに1回も行かなかったと答えていました。

大学時代は充実していて楽しかったとも。残念だったのはゼミに入れなかったことだったそうです。「もっともっと、一生懸命勉強したかったけど、両親や事務所の方には4年間大学に通わせてくれたことを感謝したい」とコメントしました。

卒業にあたり父親からメールで「卒業おめでとうございます。4年間、仕事と学業の両立によく頑張りましたね。その努力に賛辞を送ります。4年間に得たものは、目に見えねども、その大きさに気づく目が必ず来るはずです。ますますのご発展を祈念いたしております」とメッセージを受け取りました。これに対しブログで「拝啓父上、ありがとうございます。わたくし精進します。あなたが身につけさせてくれた教養を、私は今度も決して無駄にはしません」と綴っています。

スポンサーリンク

英語力が高い

北川さんは英語がよくできると言われます。

大阪女学院高等学校では、学校の方針で毎年、英検とTOEIC、TOEFLを受験していました。同校に通う学力から考えると、英検2級は最低でも取得しているとされます。

大学のAO入試では、英語が武器となったと言い、見事に合格できました。後に、英語を勉強していてよかったと話しています。

大学2年のとき、2006年公開の映画『ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT』でハリウッド映画デビューしました。しかし、これまで得意としていた英語が海外では通じないことを実感しました。これをきっかけに、大学在学中にアメリカへ2ヶ月間留学し語学を学びました。当時の公式ブログ『北川景子のBlog♪Blog♪Blog♪』で、留学するに当たり自分で現地のホテルを探し語学学校の入学試験を受け毎日バスで通っていたことを綴っています。

2013年、映画『謎解きはディナーのあとで』のロケ地となったシンガポールで開催されたインターナショナル・プレミアに出席したときのこと。「Did you enjoy the movie?(映画を楽しみましたか?)」と、日本ではあまりやらない群衆への質問の投げかけを英語でしたのです。このことから北川さんは、英語を語学としてだけでなく習慣や国民性も合わせて習得していることが伺えます。さらに発音が完璧だったと言われます。

スポンサーリンク

整形疑惑

整形疑惑があり、その変化は高校の時だったのではと言われます。

いくつか世間の声を見てみましょう。

「高校のときに二重に整形したんですか?」

「高校生になったときにいきなり二重になった」

「中学の卒アルでは一重だった」

「デビューしてからじゃないか」

「デビュー直後の画像だと奥二重だけど今は平行型のくっきり」

「二重だけであれだけ変わらないと思います。目も鼻もいじっているはず」

「鼻は小学生の頃から高かったのでしてないと思います。本人は大きいのがコンプレックスだったみたいですし」

このようにネット上でさまざまな意見が出ています。

実際に整形したかは「本人にしかわからない」というのが正しいです。例えば、アイプチをしていたら自然と二重まぶたになることもありますので。

スポンサーリンク

映画で高校生役を演じる

これまで映画で高校生役を何度か演じたことがあります。

大学2年生のときに、2007年2月公開の映画『Dear Friends』では高校生ながらガンを患う主人公を熱演しました。

大学を卒業してしばらく経った2011年6月公開の映画『Paradise Kiss』(パラダイス・キス)で高校生役を務めました。

このときばかりはネット上で「正直高校生役はもうきついと思いませんか?」という意見があり、「そうですねぇ。。。でもママ役にはまだ早いし(キャラも含めて)役の幅が狭いと困るからじゃないですか」「あと彼女自身が女子高生に人気みたいだから、共感されやすい?かもしれないし」という反応も。

学生時代にモデルデビューし今や2021年放送のドラマ『リコカツ』で夫婦役を演じた北川さん。今後もさらに活躍が期待されています。

【関連記事】
北川景子 子供は娘が1人、顔は夫・DAIGO似
北川景子 父は三菱重工の重役で学歴や年収は
北川景子 身長に「低い」「サバ読み」の声あり、体重が増加し減量
北川景子のショートヘアのオーダー方法は?「似合わない」の賛否あり
北川景子の本名は「内藤景子(旧姓:北川)」、混血の可能性は
北川景子の食べ方に『とんねるず食わず嫌い』で「汚い」の声あり

コメント