大黒摩季 元旦那は会社員、子供が産めず離婚していた

有名人

シンガーソングライターの大黒摩季さんは、2003年、友人の紹介で知り合った会社員の男性と結婚しました。

それ以前から患っていた子宮疾患と闘い、結婚してからも不妊治療に闘ってきました。子宮全摘手術により疾患を完全に克服。凍結しておいた受精卵でアメリカの代理出産を受けるも妊娠に至りませんでした。

2019年、子供を欲しいと願う相手の幸せを応援する形で、離婚してしまいました。その後、元旦那は別の女性と結婚し子供が1人いることがわかっています。一方、大黒さんは、「ロックと再婚しました」「恋もブイブイしますよ」と前向きな気持ちを明かしました。

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結婚相手は大黒摩季を知らなかった

2003年11月11日、友人の紹介で知り合った会社員と入籍しました。当時、大黒さんが33歳、結婚相手(以下、元旦那)は32歳。

結婚して1ヶ月足らずの同12月3日、ラジオ番組『TOKYO FM』にゲスト出演した大黒さんは、新婚生活に「実感があまりないんですよ」と明かしていました。

左薬指には入籍のときにもらった指輪が輝いていました。

挙式は来年すると述べていました。

同番組のスタッフによると、元旦那は俳優の坂口憲二さんに似ていて、スポーツマンタイプ。その他、九州・佐賀出身で、IT企業に勤務と一部から言われます。

初対面の際、元旦那は大黒さんのことを知らず、「アーティスト?画家ですか」と聞かれたと大黒さんは語っていました。大黒さんは元旦那のことを「飾り気のないスーツを着た王子様」と表現し、さらに「私の歌とかに興味ないんですよ。歌をゆっくり聴く暇もなく働いている人なんで」とも。

同番組において「デモテープからゆっくり製作していきたいですね。リリースは未定ですが」というユニークな表現で子供を望んでいることを明かし、「もし子供が一人だったら歌手にはしたくないですね。老後の面倒をちゃんとみてほしいですから。できれば男の子も女の子もほしい」と笑顔でした。

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子宮疾患を告白し音楽活動を休止

子宮疾患の治療のため、2010年10月末で無期限活動休止を発表しました。

子宮腺筋症だけでなく、左卵巣嚢腫(のうしゅ)、子宮内膜症、子宮筋腫も併発し子宮全体が大きく腫れ他の内臓を圧迫。これ以上の肥大は子宮全摘出しか方法がなくなり、妊娠もできなくなってしまうと言われていました。

大黒さんは「これらを軽減する為に一番の方法が妊娠でもあるので、度々体外受精も行ってきましたが、やはりこのハードな仕事の中では流産を繰り返すばかりなので、こちらも治療と共に集中的、集約的に行わなければならない」と、治療のための体外受精や流産を繰り返していたことを告白。

歩けなくなるほどに体調が悪化し、治療のため音楽活動を休止せざるを得ない状況となってしまいました。

疾患は1996年に発覚していました。発覚時、病気はすでに中期・末期という深刻なステージで、「女の幸せ取りますか? それとも仕事を取りますか? みたいな究極の選択で、毎日お腹を壊しながら悩んでいた」と振り返っていました。当時、誰にも相談できず1人で向き合ってきましたが、「私がこの現状をお知らせすることで同じ病気をもち、1人で悩み苦しんでいる女性の皆さんの励みやちょっとした参考になって頂ければとも思い『すっぴん』公表いたしました」と公表した意図を説明。

その他、2002年に大黒さんの母親は脳出血で倒れ左半身に麻痺が残ってしまい、その介護もしていたとか。

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手術を受け音楽活動を再始動

2015年11月、受精卵を凍結し子宮全摘出の手術を受けました。これで長年患ってきた子宮疾患を完全に克服。

大黒さんは、何度か流産を経験した上で「卵自体はグレードも高く発育も良かったのに、子宮が病気まみれだったため、何度も死んでいった。自分の子宮で子どもを殺したという気持ちだった。“諦める”というよりは、自分の“TRYを終える”んです」と手術前夜に前向きな考えを告白。

さらに、「自分にとって恩人でもある夫に、何かプレゼントをしたかった。この人が本当は一番欲しかったものを、最後の1%にかけて。私を選ぶために捨ててくれたものを拾いたかった」と元旦那への思いも語っていました。

病気は完治し、その後に通院はしているものの、同年、音楽活動を本格再始動させました。

しかし、元旦那とネコ達と楽しく暮らしていく中、親戚や友達家族の子供達と接する度に心の中で罪悪感のような違和感を覚えていたといいます。

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子供が産めず離婚を決意

2019年4月22日に離婚してしまいます。子宮疾患と不妊治療との闘いだった16年間の結婚生活に終止符を打ちました。

別れを切り出したのは大黒さんからでした。

大黒さんは離婚理由を「子供を産めなかった罪の意識を抱えて生きるより、彼の幸せを応援する人生を選んだ」と説明していました。

「消えない罪意識を背負いながら2人で生きてゆくよりも、1人になって彼の幸せを純粋に応援して行くほうが潔い、その方が私らしいと気づきました」と心境の変化を感じ「2人でいながら罪の意識を抱えて生きていくより、彼の幸せを応援する方が楽だと思ったの。彼も説得するうちに受け止めてくれて、新しい恋をしようねって離婚に合意したのが昨年の初めだった」と2018年初めに離婚することにお互いで合意。

離婚が公になったのは離婚してから8ヶ月後の同12月のこと。すでに元旦那は別の女性と再婚し、1歳となる子供もいました。

離婚の公表に時間差があったことについて大黒さんは「自分から離婚発表するのも変だし、でもこのまま公表しないでいると、ただでさえ大黒摩季に寄ってくる男がいないのに、不倫となったら絶対誰も来ないままだから」と説明。

子宮疾患と不妊治療については「不妊治療すれば病気が悪くなり、病気を治せば不妊治療の当たりが悪くなる。その負のスパイラルの中で0.1%の望みにかけたけどダメだった。最後の卵がなくなったのが一昨年の9月。何回泣いたか分からない。生まれて初めて絶望した」とアメリカの代理母制度も試みたけれど最後の卵子でも妊娠に至りませんでした。

元旦那への感謝の気持ちもありました。「彼はいい人だし、大好きだから幸せになってほしいって心底思うようになって。自分の中でいろんなものが削ぎ落とされたら、痛みから解放されて、変な闇が来なくなったの。本来の明るくポジティブな私が取り戻せてきて“私が好きな私”がよみがえってきた」と語っていました。

元旦那が再婚し妊娠したことに対しても配慮がありました。「私がツアーでうっかり(離婚届を)出し忘れた間に彼に新しい人ができて妊娠の話を聞いて。これは届け出したら騒がれるから妊娠不安定になって流産したら大変だし、自分は流産経験者だけにこれは大事にせねばと思い、彼らの生活が落ち着いたのを見計らって出したの。彼らの幸せを守りたかった。私は産めなかったけど、彼にあげたかった最大のプレゼントがそこだったから」と離婚の届けを出すタイミングを考慮したとも。

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世間は元旦那を「不倫していた」と批難

離婚する前から元旦那に別の女性との間に子供がいたことについて、世間から「不倫していた」と批難されることがあります。

しかし、大黒さんは元旦那の家庭に子供ができたことについて「本当にうれしい」と語り、「私が(離婚届に)ハンコを押して、お互いにかわしたその日が離婚の日だから、私は不倫じゃないと思っている」と説明し、「一般人ゆえ、これにてそっとしておいてあげてください」と元旦那の家族への配慮を呼びかけていました。

大黒さんは離婚届を提出した翌日に、クロムハーツの指輪を購入。「私、ロックと再婚したから。これからは恋もブイブイしますよ。苦しかった時の経験を生かした“闇曲”が湧き出ているので、60歳まで肉食系ヤミ子として爆走します」と抱負を語っていました。

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