俳優の長谷川博己さんの学歴と私生活について見ていきます。
1977年3月7日生まれ、東京都の出身です。
幼い頃から映画に興味を持っていたことがわかります。
それと男子校生活が長かったためシャイな性格なこともわかります。しかし高校生活ではコンパに参加するなどしモテていたとも言われます。
それでは詳しく見ていきましょう。
幼稚園児時代
東京・八王子市にある高尾幼稚園を卒園したと言われます。
2011年、同幼稚園のオフィシャルブログに記載されたことで明らかになりました。
小学生時代
小学生時代は東京・八王子市に住み、地元の八王子市立浅川小学校に通っていたと言われます。写真はコメディアンの志村けんさんの代表的なギャグ『アイーン』をしているところだそうです。
3年生の1年間を父親の転勤でイギリス・ロンドンに住んでいました。その後2007年に完成したサッカー専用のスタジアム『ウェンブリー・スタジアム』の近くだそうです。帰国子女ということですね。
イギリスで通っていた小学校は、アフリカ難民救済を目的とした音楽フェスティバル『ライブエイド』の頃で労働者階級の地区にある様々な国籍の生徒が在籍していました。インドの生徒と仲がよく、パキスタンの生徒と喧嘩ばかりしていたようです。日本語学校ではないということですね。英語力は本人いわく「微妙」だそうです。イギリスでの経験から、物怖じしない性格になったと言われます。
3歳のときに父親と見に行った映画『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』によって映画の魅力を知りました。イギリスから帰国後に映画館に通い詰めていたそうです。それから1974年のアメリカ映画『悪魔のいけにえ』を見て「なんで怖くなるんだろう、どうやったら人を怖がらせたり出来るんだろう」と考えるようになり映画にのめり込み映画監督に憧れが芽生えたようです。
中学生時代
東京都府中市にある明星中学校に通っていました。※読み:めいせい
中高一貫の私立で、当時男女別学でした。1923年に男子校が設立され、1923年に女子部が開設されましたが、男女別学が続き、中学は2003年、高校は2006年に共学になりました。
当時はお坊ちゃまが通う学校のように言われ、長谷川博己さんもそう言われる1人だったようです。女の子がいると意識してしまいドキドキして何も話せなかったそうです。バレンタインデーに女子から声をかけられて「えっ、そんなわけない」と思いその場から走って逃げたというエピソードがあるそうです。初デートは中学3年生のときの夏祭り。でも男子が大勢いる中で女子が2人ぐらいの集団デートで、恥ずかしくてずっと下を向いていたとか。
部活はバスケットボール部でした。都内の強豪校のバスケ部と言われていました。当時身長が156センチで3年間補欠だったとか。厳しい練習に3年間耐え続けたそうです。
部活で女装して芝居をさせられた経験があるそうです。
レンタルビデオ店に通って映画にハマっていたそうです。志望校に合格できず中学受験に失敗し落ち込んだときがあり映画館に行って気分転換していたとも。
高校生時代
明星高校に内部進学したと言われます。
一部から八王子学園八王子高等学校に進学したと言われますが誤りとされます。長谷川博己さんがずっと男子校だったことを明かしたことをきっかけに、共学の八王子高校ではないことが判明しました。
部活には入らず、勉強に専念したそうです。中学の時練習が厳しかったため口実でしょうか。156センチだった身長は一気に伸びたそうです。現在182センチです。
バス停近くで女子部の子を見つけるたびに「あの子、かわいいね」と友達と話し盛り上がっていたそうです。敷地内に女子部がありましたが、学園祭の日程が別々で交流も禁止、バスも同乗禁止の校則があり悶々としていたようです。
クラスメイトからは「ハセ」という愛称で呼ばれていました。三枚目で、さり気なく一言面白いことを言うような、クールに見えて人を笑わせるのが好きだったと言われます。
部活に入っていなかったため放課後に時間の余裕があり、コンパ好きなグループに混じりコンパへ行っていたそうです。他校の女子からモテていたようです。
高校3年生から予備校に通っていました。当時、中央大学が第一志望で、高指定校推薦枠が1つありました。申し込んだようなのですが、部活に入部している生徒が有利で、結局推薦はもらえなかったそうです。
ほとんどの生徒が系列校の大学へ内部進学する中、長谷川博己さんは勉強ができたそうで、映画監督に憧れ日本大学芸術学部を受験しましたが、こちらには不合格。1浪して中央大学文学部に合格。
当時も年間100本以上の映画を見ていたそうです。
大学生時代
中央大学文学部に進学しました。偏差値は58ほどで平均以上。
総額30万円ほどかけ2ヶ月間、ヨーロッパに旅行することもありました。バックパッカーとしてフランスやスペインなどへ。
稼ぐためアルバイトをいくつか経験しています。出版社『マガジンハウス』でもアルバイトしていて、俳優・文筆家のリリー・フランキーさんの原稿を取りに行ったこともあったそうです。リリー・フランキーさんいわく、当時の長谷川博己さんは、他の編集者が食いつかないような日本映画のポスターに食いつき映画監督になりたいと答えていたそうです。
東京・京橋にある『東京国立近代美術館フィルムセンター』に毎日のように通い、昔の邦画をよく見ていたそうです。ビデオやDVDではなくフィルムで見られる贅沢がたまらなかったそうです。現在の俳優業の原点がここにあるような気がすると振り返っていました。
大学4年生のときに、知人から「舞台に空きが出たので代役として出てみないか?」と誘われ演じる側の魅力に気づいたそうです。これまで見る側でしたが演じる側に意識が変わるきっかけとなりました。
大学卒業後は役者へ
大学卒業後に、希望した文学座の養成所に合格できず、いったん一般企業に就職し1年間だけ勤務しました。そして2001年、文学座附属演劇研究所に入所。舞台役者として経験を積み、映像の世界にも挑戦したく、2006年、文学座退団します。
その後、数々のテレビドラマや映画に出演します。
2007年、芸能事務所フォスターに移籍し、2010年、ヒラタオフィスに移籍。現在に至ります。
父親は大学教授で母親はその教え子
ちなみに、長谷川博己さんの父親は建築評論家で大学教授の長谷川堯さんです。具体的には、早稲田大学第一文学部を卒業していて武蔵野美術大学名誉教授です。
それから母親はその教え子となります。
両親は美術で、長谷川博己さんも演劇・映画などで活躍され、芸術一家といえますね。
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