神田沙也加 学歴まとめ、いじめに遭うなどで4回転校していた

有名人

女優、歌手、声優として活躍する神田沙也加さんの学歴について見ていきます。

1986年10月1日生まれ、東京都出身。母親は歌手の松田聖子さん、父親は俳優の神田正輝さん。幼少の頃にどの家庭も親はテレビに出ていると思っていました。

周囲から有名人の二世として目につけられ、いじめに遭うなどで4回転校しています。 学歴は次のとおりです。

  • 1993年3月、「聖ドミニコ学園幼稚園」卒園
  • 1999年3月、「聖ドミニコ学園小学校」卒業
  • 1999年4月、「暁星国際中学校」入学
  • 1999年頃、都内の中学校に転入学
  • 1999年頃、ロサンゼルスの日本人中学校に転入学
  • 2001年4月~2002年3月、「千代田女学園中学校」に転入学し卒業
  • 2002年4月、「千代田女学園高等学校」入学
  • 2003年4月~2005年3月「東海大学付属望星高校」に転入学し卒業
  • 2000年代後半、声優の専門学校に入学

それでは詳しく見ていきましょう。

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幼稚園

1990年4月~1993年3月、聖ドミニコ学園幼稚園に通ったとされます。東京都世田谷区にあります。

2009年12月24日、神田さんは自身のブログを更新し、「サヤの意外な旧友を紹介します!Laguna moon渋谷109店のSHOP店員さんで、雑誌BLENDAのモデルさん(BML)でもある、串戸優里亜☆ 実は、幼稚園~小学校と同じで仲良しだったの!」と幼稚園時代の友達を紹介していました。

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小学校

1993年4月~1999年3月、聖ドミニコ学園小学校に通いました。

同校は、東京都世田谷区にある私立学校で男女共学です。キリスト教精神に基づく、少人数制となります。1年生から英語とフランス語の授業を行います。校内に駐車スペースがあり保護者も利用できます。まさに芸能人の子供が通いやすい環境にあるといえるでしょう。

聖ドミニコ学園中学校に内部進学する女子生徒の割合が約8割とされますが、神田さんは外部進学しました。ちなみに、男子は系列の中学校がないため全員外部進学します。

神田さんは子供の頃からアニメやゲームが大好きで幼い頃から『美少女戦士セーラームーン』のファンでした。このため当時の夢は声優だったそうです。

意外にも囲碁将棋クラブに所属していました。

母親の松田聖子さんが有名だったことから、神田さんは度々コンサートやディナーショーのチケットやサインなどを周囲から頼まれていました。また、運動会などの学校行事に松田聖子さんが参加する際に学校側が安全を配慮して警備員を配置するほどに。

1997年1月に母親の松田聖子さんが神田正輝さんと離婚。翌1998年5月に「ビビビッと来た」というコメントで流行語になった6再年下の歯科医師の波多野浩之さんと結婚。神田さやかさんは、松田聖子さんに引き取られています。

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中学校、3回転校

1999年4月~2002年3月に3回転校し4つの中学校に通いました。

入学した暁星国際中学校は、千葉県木更津市にある私立学校で男女共学となります。偏差値45。

キリスト教精神に基づき創立され、国際人の育成のため帰国子女教育の先駆(せんく)として創設されました。英語で授業するインターナショナルコースを中心に日本在住の外国人生徒も受け入れています。もとは全寮制男子校として設立されましたが、後に男女共学となります。

神田さんは寮生活をしていました。それは、中学に入学する前、母親の松田聖子さんがハリウッド映画のデビューが決まり渡米したことに由来します。一緒にアメリカに行くよう聖子さんから誘われましたが、聖子さんの元夫の波多野浩之さん(神田さんからみると継父)も一緒ということに当時すごく抵抗があったため、中学に入学するとき寮生活を選択しました。

親が有名人ということもあり、中学生の頃からいじめに遭っていました。

2015年1月23日発売のスタイルブック『Dollygirl』において、神田さんはいじめなどで4回転校したと過去を明かしています。

中学校は正直つらいことしかなかったです。(中学と高校を合わせて)結局4回転校を繰り返しました。(中略)寮ではすさまじいいじめが待っていて。寮生活でのいじめって逃げ場がないんですね」と明かし、具体的には次のとおりだそうです。

松田聖子の娘ということで目をつけられ、ある時、寮の部屋に置いてあった下着が同級生に盗まれ「沙也加のパンツだよ~」と見せ物にされたそうです。他にも、夕飯後自室に戻ったところ、布団がびしょびしょに濡らされていて眠れなかったこともあったとか。

せっかく入った学校をやめるわけには行かないと考え、血のつながりのない遠い親戚の元に預けられ、寮生活をやめ通学生として通うことにしました。このように都内の中学校に転入学します。校名は明かされていません。

なぜ母親の松田聖子さんの元に戻らなかったかというと、当時2000年頃、聖子さんは「ビビビッと来た」というコメントで流行語になった歯科医師の波多野浩之さんと離婚、さらにミュージシャンの原田真二さんと交際が報じられスキャンダルの渦中にあったからです。

しかし、転校しても悲しく辛く登校拒否に。

今度は、アメリカ・ロサンゼルスの聖子さんの自宅に移住し、日本人中学校に転入学しました。どの学校か明らかになっていません。一部から「西大和学園カリフォルニア校」と言われます。

当時、両親のことは明かさずにオーディションを受け、1999年公開の短編映画『ビーン・ケーキ(おはぎ)』にヒロインの小学生役で出演しデビューしました。

しかし、アメリカで継父との同居生活もあり限界を感じたようです。

中学3年生に上がるタイミングで単身で日本に帰国し、千代田女学園中学校に転入学し卒業しました。

同校は2018年募集を停止し、2022年に千代田国際中学校として開校予定です。

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高校、1回転校

2002年4月~2005年3月に1回転校し2つの中学校に通いました。

中学校から内部進学し千代田女学園高等学校に入学します。偏差値は46~55。東京都千代田区にある私立学校で女子校となります。ちなみに、2018年に武蔵野大学附属千代田高等学院に名称変更の上で男女共学化しました。

同校は浄土真宗系の学校で仏教に基づいた道徳教育を行っています。国際教養人の育成の理念があり国際理解教育にも力を入れています。

著名な出身者に、女優の樹木希林さんや歌手の秋元順子さんなどがいます。またこの高校で声優・歌手の三森すず子さんと同級生で、2015年8月28日、自身のTwitterでも「実はガチ同級生で昔同じクラスでした(笑)」と明かしていました。

2002年、高校1年生の時にデビューシングル『ever since』をリリースし歌手活動をはじめました。当時、「神田正輝と松田聖子の娘」として世間から大きく注目を集めることに。また聖子さんとのライブツアーにも参加し、親子でデュエットもしました。

通学と仕事との両立が難しくなったためか、高校2年生に上がるタイミングで、私立の通信制の東海大学付属望星高校に転入学し卒業しました。偏差値なし。

同校は、東京都渋谷区にあり、立地的にも芸能人の在籍が多いです。

著名な出身者に、俳優のえなりかずきさん、タレントの松居直美さん、歌手のhitomiさん、女優の芳根京子さん、マツモトキヨシ代表取締役の松本清雄さんなどがいます。

全国の通信制高校の中でも大学進学実績が優れていることが特徴です。通信制ですが、他の付属高校と同じ条件で東海大学への付属推薦入試が受けられ内部進学できます。

しかし、神田さんは大学に進学はしませんでした。詳細は後述しますが、親子の揉め事で家を飛び出し芸能活動を休止、アルバイトで生活費を稼ぎました。

高校2年生だった2003年に映画『ドラゴンヘッド』のヒロインを務め、本格的に女優の活動を開始しました。同年、テレビドラマ『ヤンキー母校に帰る』にレギュラー出演も果たします。

このように仕事が多忙だったことから、週3回くらいのペースでファミレス『デニーズ』で食事を済ませていたことを後にインタビューで明かしました。

高校時代から「隠れロリータ」だったことを後に明かしていて、当時からロリータ雑誌を愛読。

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声優の専門学校

神田さんは14歳のとき芸能界デビューしますが、その後も苦悩が続いたといいます。「私の中では色々と葛藤が生まれていて。(中略)用意されたものに対して、自分の実力が伴っていないっていうのが一番大きかった」

それは、松田聖子と神田正輝の娘でありデビュー当時の世間の期待度は他の二世タレントと比べ物にならないほど大きかったのです。その分、実力不足に対する業界内外の批判の声が少なくありませんでした。

高校卒業してすぐに1年半の芸能活動を休止。理由は、12歳年上のギタリストの北野正人さんとの交際を母親の松田聖子さんに反対され、それに反発し家を飛び出したからと言われます。母親は自由に恋愛しているのに自分は許されないことに激怒したとも。

その間、飲食店のアルバイトで生活費を稼ぎました。一人暮らしをしながら懐石料理店の仲居やダイニングバーのウェイトレスなど。「自分が子供を育てる時に賃金の尊さを教えるために」という考えだったと言います。

その後、芸能界に復帰しましたが、10年弱の間、人気が出ませんでした。しかし、復帰後に、声優の専門学校に通ったりミュージカルで経験を積んだり努力してきました。

その結果、2014年公開の映画『アナと雪の女王』でアナ役の日本語吹き替えを務めヒットに貢献。さらに同年、第65回NHK紅白歌合戦に出場を果たしました。

何かと「松田聖子の娘」として取り上げられることが多かったのですが、このヒットにより神田さんは母親とは独立した才能を持つ人物として認められました。

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