芸能界には多いと言われている韓国籍の在日韓国人。あの名俳優、松田優作もそうでした。
差別から日本国籍にこだわり、ついに帰化します。
その苦悩について詳しくまとめました。
松田優作は元々、韓国籍だった
松田優作は1949年に下関で生まれました。
母親のかね子は、朝鮮半島から来日した在日コリアン一世です。
優作は、母親が36歳のときに不倫した相手との間にできた子供(=非嫡出子)でした。
父親は優作が生まれる前に姿を消します。
母親は、生計を立てるために駄菓子や雑貨を売るよろず屋を営んでいましたが、それだけでは家族を養っていくことが難しく、店の2階を娼婦に貸し出し売上の一部を受け取って家計の足しにしていました。
割と複雑な家庭環境で育ったようですね。
当時は今よりも差別も酷かったのではないでしょうか。
松田優作は自身が在日コリアンだという事は頑なに隠していました。
家が女郎屋でよくない生活環境であったことはインタビューでも隠すこと無く語っていたのですが、自分が「金優作」という名前を持つ韓国籍の在日コリアンだということは隠していたのです。
なぜかというと、学生時代に「松田は朝鮮人だから付き合うな」などと言われた経験から、貧乏だった過去はファンから受け入れられても、生い立ちに関しては受け入れてもらえないという確信があったからのようです。
やはり差別を受けた経験から、隠していたのですね。
なかなか無くならない差別ですが、人種差別は本当にくだらないです。
前妻が知る松田優作が韓国人である葛藤
優作の前妻である松田美智子は著書『越境者』を出版しています。
そこには松田優作の出自に関するものもリアルに書かれていました。
遡ること、1969年のことです。
優作と美智子が同棲をはじめて半年ほど立ちました。
美智子の母親が上京してきて、美智子の部屋で男の影を察知したようで、しばらくすると、今度は美智子の叔父が状況してきました。
美智子の母親は、見つけた優作の身分証明書を元に、優作の身の上調査を済ませたというのです。優作が非嫡出子であること、実家が女郎屋のような商売をしていて警察沙汰になったことがあることなど、家庭事情が語られ、国籍も日本ではなく韓国だと告げられたのです。
それを聞いた美智子は驚きましたが、思い当たる節がありました。優作は美智子に何度も「本当のことを知れば、おまえは俺から、逃げていくだろう」とつぶやくようにいっていたからです。その他に、優作は「なにごとであろうと俺を信じ、全てを受け入れるか」と美智子を試すかのような言動もしていました。
当時はお見合い結婚も多かったので、両親や親族が相手の身元調査をする事も珍しくなかったのだとか。
しかし、このとき美智子は思いました。「子供の頃から偏見に晒され、屈辱的な思いを味わってきた彼を想像すると、いとおしいと思う感情が募った。」と。
美智子はこのことを優作には伝えずに同棲生活を続けました。
その後、1973年、優作が『太陽ほえろ!』のレギュラーが決まった年、優作の長男が自宅にやってきました。
美智子が休んでいる部屋の隣で、兄弟はボソボソと話をしているのが聞こえました。
「兄ちゃん、国籍のこと話したのか!」
「いいや、わしが話す前に、うちのこと全部知っとったぞ」
これを聞いたときに、美智子は優作から怒られると思ったのです。しかし、優作は意外な行動を取りました。長男が引き上げた後、美智子の寝室に入ってきた優作は美智子を起こしてこう言いました。
「知ってて、それでも、一緒にいてくれたのか……」
美智子は優作に両手で引き寄せられ、力強く抱きしめられました。
優作は泣いてはいませんでしたが、涙ぐんでいるのがわかったのです。
優作は、くぐもった声で、「ありがとう、ありがとう」とくり返し言いました。
在日韓国人である事が、どうしてそこまで言われてしまうのか、今では理解に苦しむほどです。
人種の違いも個性ですし、何も間違った事ではありません。
「自分が日本人でなく、韓国人だから愛する人にそれを知られたら自分の元を去ってしまう」と、松田優作に思わせてしまったその時代や、周囲の差別に悲しくなります。
松田優作が韓国籍から日本国籍取得まで
優作は、その後スターの階段を駆け上がっていきました。
それとともに、顕在化してきたのは日本国籍を取得したいという気持ちでした。
もちろんその理由は「差別」です。
優作が韓国人だったことに、びっくりする人もいました。
「今は知られているけど、松田優作は韓国人だよね。有名になってきた頃に帰化してるけど。そのことを伝えたら「ウソでしょ!?」って何回も訊かれた。」
優作は、在日というだけで差別され、色眼鏡で見られる現状からなんとかして抜け出したいとあがき続けていました。
そこで優作が取った行動は、美智子との同棲中に「お前の家の養子にしてくれ」「どうしても日本国籍に帰化したい。協力してくれないか」と頼んだことです。
今でもそうですが、帰化する為にはかなりの書類と時間がいるといいますよね。養子という手続きなら比較的簡単に日本国籍に変更できるのでしょう。
1973年、法務省に帰化申請を行い、日本国籍を取得します。これにより、通名だった「松田優作」が本名となりました。
松田優作の日本人になる動機
優作は、日本人になる動機について考える時間を多く持つようになります。
松田優作が法務大臣に宛てた「帰化動機書」を抜粋します。
僕は今年の7月から日本テレビの『太陽にほえろ!』という人気番組にレギュラーで出演しています。
視聴率は子供から大人までと幅広く、家族で楽しめる番組です。
僕を応援してくれる人も沢山できました。現在は松田優作という通称名を使っているので、番組の関係者にも知られていませんが、もし、僕が在日韓国人であることがわかったら、みなさんが、失望すると思います。
特に子供たちは夢を裏切られた気持ちになるでしょう。
引用元:『僕たちのヒーローはみんな在日だった』 著、朴 一
在日韓国人であるからといって、失望されると思う松田優作の心はとても苦しかったのではないでしょうか。
美智子はこれを読んで泣き出しそうになったのです。
優作が在日だと知られたら、みんなに失望され、子供の夢を裏切ってしまいます。こんな思いを優作に抱かせたのは誰なのか、それは、日本で生まれ日本国籍を持ち自分こそが日本人だと胸を張るすべての日本人です。
同じ日本人として悲しい過去だと思います。どこか違う国で、もし同じ思いをしている日本人が居たら悲しいですよね。
「差別はいけません」と当たり前に子ども達に教えてあげられる大人にならないといけませんね。
松田優作の子供たちの国籍は韓国籍か日本国籍か
松田優作には4人の子供がいます。
前妻の美智子さんとの間に1人、奥さんの美由紀さんとの間に3人。
美由紀さんとの間に生まれた3人はみなさん芸能活動されていますので有名ですよね。
松田優作が韓国籍だったという事は子供たちも韓国籍という事になるのでしょうか?
でも、美智子さんとの結婚生活で帰化されて日本国籍を取得されているので日本人なのでしょうか?
上でも述べたように、1973年に優作は日本国籍を取得しています。
最初の奥さんである松田美智子と結婚したのは1975年なので日本国籍を取得した後という事になります。
そして、日本の国籍法では、子供が生まれたときに、父親または母親が日本国籍であれば、その子供は日本国籍を取得することが定められています。また両親の国籍が不明の場合や無国籍の場合も、法律上、日本国籍が与えられます。
ということで、子供たちは4人とも日本国籍で間違いありません。
国籍など関係なく、才能のある人が胸を張って活躍できる世の中になればいいですね。
【関連記事】
松田優作の娘は腹違いで2人。作家美智子とは一般人紗綾、女優美由紀とは歌手ゆう姫
松田優作の子供は娘2人と息子2人。名前と生年月日まとめ。
松田優作の身長・体重を考察。サバ読みがあったか。息子・龍平と翔太に遺伝したか。
松田優作の死因は膀胱癌。命日が怪奇現象。葬儀写真あり。
コメント
なぜ、嘘をついて日本人を騙すのか
コメントありがとうございます。
松田優作が、韓国籍であることを隠し通そうとしたことでしょうか。
法務大臣に宛てた「帰化動機書」の抜粋にもあるように、
「僕が在日韓国人であることがわかったら、みなさんが、失望すると思います。」
が物語っているものと思います。